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関連資料

・ラジオ関西「シネマキネマ」インタビュー
映画同人誌DVUインタビュー
恵比寿映像祭2023 配布資料『乙姫二万年』解説

* 2019年8月、神戸映画資料館で、 『乙姫二万年』お披露目上映会が開かれた翌日、ラジオ関西の映画情報番組「シネマキネマ」さんのインタビューを受けました。かなり長いインタビューですが 『乙姫二万年』 成立の裏話が満載ですので、どうぞお読み下さい。

 

ラジオ関西「シネマキネマ」インタビュー 

WEBSPECIAL / CinemaKinema  『乙姫二万年』にいやなおゆき監督インタビュー

インタビューしていただいた吉野大地様、掲載していただいた神戸映画資料館の田中範子様、お世話になりました。

​こちらは過去のインタビュー、批評など、関連資料のページです。映画同人誌DVU、中山さんのブログ「誰も呼んでくれない夜」 と、2009年発行の「DVU2」 掲載の、にいやなおゆき長編インタビューをご紹介します。インタビュー中で語られている、にいやのマンガ作品はこちらに掲載されています→『地下漫画』

 映画同人誌DVUの中山洋孝さんが、ブログ​「誰も呼んでくれない夜」で『乙姫二万年』を取り上げて下さいました。 中山さんの文章を転載するのは申し訳ないので、批評は上記のリンクからお読みいただくとして。ここでは、中山さんに取材していただいた過去のインタビューを掲載致します。中山さん、DVUの皆さん、お世話になります。10年前のインタビューなので、考えが変わった部分、古くなった部分や、細かな勘違いなどあるかもしれませんが原文のまま掲載させて頂きます。

2009年、前作『灰土警部の事件簿 人喰山』を発表した時、「DVU」という映画同人誌から連絡があり、編集者の中山洋孝さんからインタビューを受けました。にいやが参加した実写映画や、自主アニメーション、マンガなど様々な話題が続き、無茶苦茶な大長編インタビューになってしまいました。初回インタビューは8時間以上に及び「これをどう編集して掲載するのか?」と​関係者全員頭を抱え。「じゃあ、もう一度会ってどう抜粋するか話そう」と、今は無き吉祥寺駅裏のドトールで編集会議……のはずが、またも3時間以上のインタビューになってしまい。結局、全編掲載という事になってしまいました。

読者のみなさん、物凄い分量で心底呆れ果てると思いますが、掲載誌の「DAV 2」もすでに手に入らない状態ですし、資料としてここに掲載させて頂きます。お時間のある時、体力がある時、少しづつお読み下さい。尚、インタビュー中に出てくる過去作品『納涼アニメ電球烏賊祭』『人喰山』は、阿佐ヶ谷で切通理作さんが経営されている「ネオ書房」と、神戸映画資料館でDVD発売しております。品切れになる前に、お買い求め下さい! では、どうぞ……。

【1、にいやなおゆきとは何者か?】

新谷さんのお名前は『映画の魔』(高橋洋)での言及、『ソドムの市』(04年 高橋洋)の特撮を担当された方として認識し、気にはなっていた。どうしても高橋洋さんの名前とセットになってしまったが……。しかし今回の取材のそもそものきっかけは08年3月頃、アップリンクファクトリーにて『人喰山』(08年)の上映会を拝見させていただいたのがきっかけだった。そこで旧作や、新谷さんと関わりの深いアニメーション作家であるKTOONZ、倉重哲二さんの作品もあわせて、いずれも強烈な体験として残った。それは単純に『ソドムの市』の関連作という印象ではなく、強烈なイメージの羅列にして、優れたユーモアに満ちた、怪しさを漂わせていた。それから何らかのかたちでお話をお聞きできないかと考えていた。
今回、新谷さんのご厚意により、ご自宅へお邪魔させていただき、そこでいくつかの作品を見つつ、お話をお聞きすることができた。こちらのアニメーションに関する勉強不足、撮影経験の少なさから話を深められなかった点もある。また新谷さんの係われた作品で観やすい作品は非常に少ない(というより自主映画のため、公開の機会は限られている)。しかし、これを機会に、新谷さんの作品に興味を抱いていただけたら幸いである。それでは作品の紹介を交えつつ、進行していく。


・ソドムの市

―― このたび新谷さんからお話をお聞きすることになって、おそらく今レンタルビデオ店にも並び、もっとも見やすいという点で代表作かと思われます、『ソドムの市』(監督:高橋洋)を拝見し直しました。
高橋さんの『狂気の海』は昨年の9月の美学校での試写、3月の大阪での上映(planet+1にて)、そして今年の7月のユーロスペースでの上映ではカップリング作品を見るために、さらに何度も見ました。そのせいか、当初は相当飛躍するものだと唖然としましたが、5回目くらいから日本の終末を見届けることにも慣れました。
一方『ソドムの市』は公開当時以来見直していず、高橋さんにインタビューするにあたっても、こちらの怠慢が原因か、見直せないまま迎えることになりました。ようやく先日見直し、大変感動させられました。いままで赤塚不二夫的な世界と思っていたのですが、むしろ手塚治虫的な、つまり笑えるところも笑えないところもふくめて、実に真剣に受け止めざるを得ない…、価値観が見ている間に変わってしまった気さえします。

新谷:『ソドムの市』も最初は全編8mmで作ろうとしたんです。それをテレシネにかけて商業映画として公開しようと。現代の商業映画では出来なくなってる映画の不思議を復活させようと思ってたんです。でも、企画自体がパナソニックとの提携で、DVX100使用前提だったので駄目でした。最後のB29の旋回だけは8mmで撮ってます。
「ものの見方が変わる」つまり「異質な視点を突きつける」というのは、高橋さんと『ソドムの市』以前から考えていることです。リュミエールの『列車の到着』を観て、観客がパニックをおこして逃げ出したという話があります。現代の観客は『列車の到着』を見ても驚かない。でも当時の観客にとって、『列車の到着』は、スクリーンに何かが映されている以上の飛躍を生じていたのだと思います。アニメーションにしても、1コマ1コマの静止画が映ってるだけなのに、なぜかキャラクターが生きていると感じてしまう。絵が動いて感じる「錯覚」というレベルではなく、「静止画」と「動画」の間で奇跡的な飛躍が生じている。そんな魔法のような瞬間こそが映画だと思うのです。
シュールリアリスムで言う「超現実」は、「非現実」ではなく「上位の現実(過剰なまでの現実)」という意味らしいです。それこそ映画が目指すべき世界でしょう。たとえば平成の『ガメラ』シリーズは「本当に怪獣が現れたら自衛隊はどうするか」というシミュレーション的リアリティーの世界です。しかし、シミュレーションは現実の模倣であり「下位の現実」です。どんなにリアルなSFXでも、精密なCGでも、シミュレーションでは奇跡は起こらない。レイ・ハリーハウゼンはシミュレーションではない。ラディスラフ・スタレヴィッチも違う。『モスラ』も違うでしょう。彼らが目指していたのは現実の模倣ではありません。
黒沢(清)さんも言ってたけど、我々の世代は8mmが出発点です。8mmは一巻3分しか撮れない、それで何千円もかかる、複雑な録音も出来ない。だからいかに効率的に撮るかを考え、音に頼らず撮影する、そこで映画ならではの文法が生まれる。つまり映画の奇跡を発見、体験する過程がある。8ミリ制作とは、サイレント時代からの映画追体験とも言えるんです。先ほど話した「超現実」は、そういう不自由さのなかから産まれる物でもあったと思います。でも、デジタルビデオならいくらでも回せるし、音も勝手に入る。CGで何でも映像にできる。映画の性質自体が大きく変わった。高橋さんともよく話してますが、モノクロサイレントからトーキー、カラー、ビデオになるに従って、映画が現実のコピーに成り下がったのかもしれない。そこには「超現実」や「奇跡」が産まれる隙間がありません。昔、新幹線が走ってなかった頃、遠距離を移動するのは大変でした。しかし、何日も歩いて旅をしたり、夜行列車で同席した人と話しながら旅をするのは楽しかった筈です。移動すると言う目的だけではなく、旅の過程にも楽しみや発見はあったでしょう。映画は芸術です。単なる商品ではないし、効率だけを目指して作られる物ではないでしょう。失敗を排除し、効率優先になり過ぎたら、映画から「奇跡」が抜落ちて行くのです。だから映画美学校でも映画作りはサイレントから始めた方がいいという話をしています。


・低予算特撮映画について

―― 新谷さんの作品は基本的に予算ゼロでつくられているとお聞きします。3月頃に行われましたアップリンクでの最新作の『人喰山』を含めたアニメーション作品の上映会に伺った際、これほど勝手にいろいろなアニメーションをつくっている人間がいるのかということと、それらがほとんどまるで愛想の無いものなのに感動しました。それゆえに、予算ゼロでつくられることを必然的に強いられるのに、まったく貧乏臭さやチープさを売りにした感じがしない。それはアニメーションの強みかもしれませんが、新谷さんたちの作品制作への態度がどのようなものなのか、非常に気になったきっかけでもあります。

 

新谷:愛想が無いってのは「スポンサーや観客に媚びてない」って事ですよね(笑)
「予算ゼロへの拘り」という話をされていますが、ぼくは基本的に自主作家ですから、やりたいことを勝手にやっているだけです。潤沢な予算があればそれに越したことはありません。強いて言えば『ソドムの市』が一番潤沢な予算だったと思います。でも、どこかから資金が提供されることになれば、当然CG使用やリアルさを追求せよという話に転がっていくでしょう。
僕が影響を受けたのは東宝・円谷特撮もそうですが、うしおそうじ率いるピー・プロダクションの特撮番組、『スペクトルマン』や『快傑ライオン丸』だと思います。巨大セットをつくるのではなく、家内制手工業的に低予算で、実写のフィルムと写真アニメーションを組み合わせたりする。一般的に予算が映画の内容を決めますが、低予算でも特撮はつくれるはずです。それは現実的なリアリティー……先ほど言ったシミュレーション的な方向性ではなく、作り物を使って、さらに作り物の世界を構築する。それによって「超現実」を作り出す。いわばアニメーション的な発想なのです。
子供のころ特撮番組を見ていて、やっぱりチャチだとは感じてましたよ。でもビートル機が基地から出てくるときガタガタ揺れたりするのも愛嬌というか…。チャチな事を面白がってるわけではなく、リアルに作りこまれすぎていないことで立ち上がる「超現実」の肌触りみたいなものを感じてたわけです。昔ながらの特撮は巨大セットを組む場所も、予算も、時間もかかる。着ぐるみのチャックが見えると言われたり、模型にしか見えないと言われたり、ずいぶん批判もされる。CGのほうが安上がりです。現代では、ピアノ線が見える特撮は許されません。『スターウォーズ』(77年 ジョージ・ルーカス、日本公開は78年)が初めて公開された時、東宝のひとたちは「『スターウォーズ』から、我々が学ぶべきものはなにもない」と言ったそうです。当時は「何言ってんだ」と批判されてましたが、映画作りの根本精神としては共感するのです。日本では怪獣の足元で電信柱がひっくり返り、ゴミ箱が転がるというような、ばれるに決まっていることを真面目にやる、それがチャチだと判っていても、この画が必要と感じたらつかう。そういうカットが連鎖した時に映画が命を持つと信じ、そこに賭けている。そこに日本と西洋の特撮の違いがあると思います。ばれないようにつくるか、ばれてもいいから映画全体の力の強さを選ぶのか。昔の日本の特撮のおもしろさや、超現実感は、後者から生じていると思います。昔の実写ドラマにしてもそうですよ。『椿三十朗』のリメイク(07年 森田芳光)を友人が見てきたのですが、昔より23分長くなっているそうです。今の役者さんはリアルに感情込めているつもりなのかもしれないけれど、やたらタメをつけた喋りをする。でも岡本喜八や増村保造の映画を見ると、もの凄い勢いで台詞をまくしたてていて、現実のリズムで喋っていない。それだけで23分もの差が出て来る。『スチュワーデス物語』放映当時、視聴者は馬鹿にしながらも本気で見ていた。現実とかけ離れた表現のドラマを受容できた時代だったんです。ドラマが現実的リアリティを増していったのは80年代半ば過ぎでしょう。現実離れした表現が、ギャグ前提でしか受け入れられない時代になった。リアリティーに映画が食いつぶされてしまったんです。『人喰山』で僕が弁士をやったのも、一枚フィルターをかけて嘘の世界を成立させるためです。もしも声優さんを使ってリアルに作ったら、あの嘘の世界は成立しない。
『仮面の忍者 赤影』(67~8年)見たことあります? ものすごいですよ。50年代くらいまでは東映時代劇の黄金時代で、巨大セットをいくつもつくり、大部屋俳優を山ほど抱え、スターもいて、大道具・小道具・衣装、なんでもあった。それが60年代くらいから下火になってしまう。そこでTVの子ども番組を作るんですが、50年代の財産がありますから、予算以上のことができる。映画黄金時代の資産を全て子ども番組につぎ込んでる。虫プロの『鉄腕アトム』も低予算とはいえ、実際は赤字でつくっています。内容的にも10年以上連載されてた手塚原作が惜しげも無くつぎ込まれてる。子ども番組といっても、単純にお金に換算できない、その予算でつくれるものではないレベルのものを見せられていたのです。
映画やテレビドラマも80年代半ばまでは職人さんや製作環境が生きてましたし、90年代半ばまでは、Vシネでも一定レベルの製作環境が残っていた。ある程度の予算は確保されてたし、予算以上の事が起こる現場、お金の枠から解き放たれる作品があったんです。Vシネ壊滅以降は映画界の構造自体変わったんでしょう。ハンディなDVカメラの普及で、製作の小回りは効くようになったけど、その分予算も削られてます。予算が100万円だったら、100万円の事しか出来なくなってる。平成の『仮面ライダー』は戦闘員が出て来ないらしいですね、大部屋俳優がいないし、たぶん戦闘員の弁当代も無いでしょう。映画に魔法がかからなくなった。どこの現場も頑張ってるんだろうけど、業界の基礎体力が落ちてしまったんです。
でも僕らは作品の中に予算以上のことを求めてるんです。自主映画ですからお金はないけど、奇跡が起こらないと映画を作る意味が無い。高橋さんはじめ、仲間達はみんなそう思って作ってますよ。

 

―― ロケーションもまた、自分で予算をかけてつくれるものではない規模のものとも見えますよね。素人俳優というのも、自分では培えない経験を積み重ねている他人ほど、面白いのかもしれない。

 

新谷:僕らの(実写作品の)撮影現場はその場次第。右から風が吹いてきたら左に、左から風が吹いてきたら右に…という感じです。ちゃんとスケジュール組んで、ロケ場所設定して、アポとって、そう段取りを組んだら、そこで予定通り撮らなくてはいけなくなる。僕はそれが嫌なんです。趣味で写真を撮っていますが、コンパクトカメラを持ち歩き、いい光のところを見つけては撮る、スナップ写真ですね。それはその場の風を利用してやっていることです。もしかしたら我々の自主映画というのは、劇映画の現場をドキュメンタリー的に記録している行為なのかもしれません。ブニュエルの『砂漠のシモン』なんかもそういう匂いがします。ドキュメンタリー的手法によってフィクションの枷を取り払い、「超現実」的な視点を呼び込もうとしているのではないでしょうか。
写真が趣味なのは、現場の風を利用して無意識を呼び込めるからでしょう。でも、本来そういう事はDV撮影でも、CGアニメでも出来る事だと思います。結局、問題なのは表現方法ではなく、なにが目的かという事です。VFXの時代になって、新時代の「超現実」が生まれる素地は出来ているはずです。新しい世代の新しい表現に期待したいです。

・「妖怪」のいる感じ、または超現実的体験

―― 新谷さん、及び新谷さんの周囲で活動していらっしゃる方の作品は、質感が違うように見える、まるで「妖怪」がいるような感覚を、映画で追求していることに感動させられます。たとえば滋賀県で自主映画を撮っていらっしゃる木村卓司さんの『さらばズコック』はどちらかといえばカメラをいかにダイナミックに動かし演出するかというものですが、水たまりを写した場面や、霞がかかった山の赤紫色をしているような光景に驚かされます。美学校の二期生でした松村浩行監督の『TOCHIKA』(07年)にしても、トーチカの闇が点在している根室の光景に、容赦ない強風、日が暮れてからの浜辺など、極度に研ぎ澄まされた感覚には恐怖し、感動します。それは『一万年、後….。』(07年 沖島勲)、『コロッサル・ユース』(06年 ペドロ・コスタ)の静けさが漂う廃墟と、無生物的な白い建造物の数々など、部屋の隅の暗い部分のような、意識していない領域がスクリーンを通して人間の意識へ触ってこようとしている感覚が……。『烏賊祭』の終盤における紐の感触が、非常に重要だと思います。質感の追求という点で、リアリティがでている、ものの捕らえかたの生々しさに驚かされます。
にいやさんのやっていらっしゃることは、たぶん手で触ってつくったもの、自らの手で紙をちぎりはりつけつくっていったからこそ、質感のおもしろさがあるのだと思います。紙は人工物ではあるが、素材から新谷さんがつくったわけではありません。山はカメラに映されても、自分でつくったものではありません。そのような自然物と人工物の境界線を限りなく曖昧にしてしまう。特にフィルムにはそのような要素があるのではないかと思います。

 
新谷:アルジェントの初期作品や、ジョン・ブアマンの『ポイントブランク』(67年)もそうですが、低予算のホラー・暗黒街モノなど、低予算ゆえに生まれる「超現実感」はおもしろいですね。予算がないからその場にあるものでしか撮れず、限定されたロケ場所・セット・小道具による発想から、現実から逸脱した奇妙な変化が起こる。
「人工物だけれど自然物になってしまっている」というのは、魂が吹き込まれている、命をもってしまっているということかな。ならば「妖怪」というのは良いたとえかと思います。アニメーションの語源である、アニミズムのような、全てに生命は宿るという感覚でもあります。百鬼夜行、古い家財道具が真夜中に歩いてる。あれももともと人工物だけど命をもっている。『人喰山』のラストも百鬼夜行です。あれって祭りでしょう。ああいうものをやりたい。だから意識している・していないに関わらず、僕の関わった作品はラストがお祭になりますね。
デジカメの時代になって、どうなんでしょう、心霊写真って、まだあるんでしょうか。特にフィルムにこだわってるわけではないけど、趣味の写真は、デジタルからフィルムに戻しました。デジカメがつまらないわけではないけれど、なにか捉えてるモノが違う気がする。お化けが映りやすいのはフィルムかもしれません。CDとレコードの違いと同じで、目に見えない波長、つまり「霊」がフィルムには写るのかもしれませんね。

―― ところで新谷さんのなかでそういった「超現実」を感じた原体験ってあります?

 

新谷:幽霊なら見た事ありますよ。妹と祖母と一緒に仏壇の間で寝てたら、夜中に目が覚めて。暗闇の中に青白い光に隈取られた鎧武者がぐるりと立ってる。妹も気づいて怯えてました。いつの間にか寝てしまって、そのまま朝になりましたけど。
 映画の「超現実」なら山ほど。われわれの頃は、子ども番組の花盛りでしたから、どこを見ても「超現実」ばかりでした。僕は昭和38年の二月に生まれましたが、『鉄腕アトム』が一月に始まってます、物心着く前、生まれたときからアニメを見ている第一世代です。
もっと根元をたどればネオンサインだと思いますね。駅で機関車を待っていると、デパートの屋上のネオンサインが光ってた。光のパターンで動く一種のアニメーションです。あれを20分くらいぼんやりと眺めていた。要するに、暗闇でボーっと何かを見るのが好きなんです。映像がカタカタと中空に浮かび上がっているような感じ。スクリーンプロセスも好きですね、『ソドムの市』でもやりましたが、あまりうまくいかなかった。B29の飛行シーンは良かったかな。『烏賊祭』はお金も録音機材もないので、仕方なく映写機の音をつけたんです。暗闇でネオンサインのようにボーっと見てもらいたいという、半分意図的なものですが。
あとは川ですね。家の近くに大きな川があって。高橋さんは森が原体験らしいけど、僕にとっては川です。岡山県の高梁川(中山注:調べたら、横溝正史と縁深い)によく行ってた。込み合った田舎の町で、視界が開けることが気持ちよかった。生活圏にある異界の体験ですね。川の上で木の葉がくるくると回ったり、沈んだり浮かんだりするのを眺めてました。だから『ソドムの市』で高橋さんは僕の出るシーンを森にしようとしたけど、川にしてもらったんです。
確か、ガイナックスの山賀博之さんがユリイカの対談で「アニメーターになる人は現象が好きな人だ」と答えていました。風で動く木立とか、雨の雫とか、そういうものが好きでしたね。

―― 『烏賊祭』の夜の川は恐ろしい感じがしましたが。

新谷:いや、僕は夜の川も気持ちいいです。暗闇がすきなんですよ。朝が来るとがっかりする。さっきも話しましたが、僕は「暗闇」から「祭り」に向かうんだと思う。何度作品を作っていても必ずそれが出て来ます。僕にとってそれは「解放」なんです。『人喰山』のラストもそうだけど、あれを地獄と受け取る人もいるし、極楽と受け取る人もいると思う。どちらに受け取ってもらっても構わないですけど。

 

―― 以前つくられた絵巻物形式の漫画・このたびの紙芝居アニメというのは原体験の遊びと係わっておりますか?

 

新谷:あるかもしれないです。駄菓子屋の玩具的なものというか。お菓子のおまけでついている小さい絵本が好きでした。子供の頃は玩具を買ってもらえなくて、紙細工をつくっていた。自分でつくっていく面白さの中に、リアルな玩具以上の価値を見出していたんだろうし、未だにそれをつづけてます。高価でリアルな模型飛行機より、自分で作った紙飛行機の方が僕にとってはカッコ良かった。最近「大人の科学」で発売されましたが、紙フィルム映写機を自分で作りたかった。切り紙をつかって影絵をやったりしていましたね。『ガメラ対大悪獣ギロン』(69年)に感動して、ビニール袋にマジックで絵を描いて、それを懐中電灯で障子に映してました。自分がやりたいのは手作りで「超現実」なカッコいい(?)物をつくることで、それが創作の原点なんでしょう。本当は絵を描くのが好きではないんです。好きなのはやっぱり鳩の模型作りとかカブトガニとかです。在りものと在りものが合わさって変質するのがおもしろい。

 

―― 手作りの玩具へのこだわりをお聞きしましたが、たとえば海洋堂のフィギュアは嫌いでしょうか?

 

新谷:興味ないです。フィギュアそのものに興味が無いです。


・根源的体験と世界観

―― 「ものの見方」というより、世界が拡大していく部分を感じることがあります。漫画で言えば高野文子のような、視点が変わっていくところに、「宗教観」のようなものを感じます。仏教であれば石を見て宇宙を感じる、有限・無限のないような、そういうのを意識されてやっていますか?

 

新谷:やっているうちに意識はしていきますね。映画は狭いところから広い所へと出る。またはその逆。暗い所から明るいところへ。高い所から低い所へ、その逆。それは映画のメカニズムでもあるし、世の中の構造自体がそういうものでしょう。
鶏が卵を産み、ヒヨコが生れ、また鶏になり卵を産んで…というように、根本的に生き物が持っているものだと思う。 

 

―― そのような体験の数々は、いつ頃からアニメ・映像・マンガの流れに入りました?

 

新谷:保育園くらいの頃に、漫画好きのおじさんから『火の鳥』を読まされて、仏教ではないけれど、命は入れ子構造になっている、そんな見方を植え付けられた気がします。

 

―― 幼少期の話をもう少しお聞かせください。『人喰山』では弁士をやられていますが、新谷さんは当初俳優を志されていたことはありますか? ハリーハウゼンはかつて役者を志していたものの、人前に立つことへの緊張に耐え切れず、挫折したと聞いたことがあります。しかしその体験は俳優ではなく人形を動かす時の感情表現に役立ったそうです。

新谷:僕も役者になりたかったんです。中学校の時に学芸会で演劇をやって、そこで味をしめて高校に入ってから演劇部に入った。でも女13人の男僕一人だったから、女同士で内紛がはじまった(笑)。そこでうんざりして、漫画やアニメーションに方向転換しました。ノーマン・マクラレンもバレリーナになりたかったらしいけど、自分には無理だとリタイアして。そこで自分の体を動かす代わりに、フィルムのなかで動きを作ることにしたそうです。それと落語が好きでしたね。聞くよりも、講談社から出ている文庫本を声を出して読んでいました。落語だけでなく、しゃべることや、歌うことが好きだった。

 

―― 『人喰山』は新谷さんの俳優としての側面が全面展開された作品だと思います。紙芝居アニメですが、一枚一枚躍動感があるのは、そのような点もあるかもしれません。
幼少期といえる時期から飛びますが、20歳くらいの頃、何でも喜ばしく感じる躁状態がつづいたと書いています。それはアニメ制作に影響を与えておりますか? また、そのときの感じを上手く言えますか?

 

新谷:あの頃はアニミズム的な考え方・感じ方を体感してましたね。全ては命をもっている。戦争も病気も、苦しみも憎しみも、何もかも生命の発露だと。『天才バカボン』『ベティ・ブープ』も同じ思想ではないでしょうか。ギャグの世界はアニミズム的な考えを母体にしています。死ぬことも、殺すことも、何か大きな祝福の一環に思える。元々この世界はそういう構造として出来ていると感じるのです。キリスト的な祝福ではないですよ。神が祝福するとか、許すとかではなく。僕は一神教的な考え方ではないんでしょう。筒井康隆も好きでしたね。『虚構船団』は『ベティ・ブープ』の世界観を受け継いでいます。笑いを目指している人間は、どこか祝福感と言うか、祝祭感を求めているのではないでしょうか。殺人も病気も戦争も全てが「許される」のではなく「全肯定」されるような。
あの頃の精神的浮遊感は、ものをつくる上での根源的体験のひとつだったと思います。

 

―― もうひとつ、感想ですが現実の再現よりも、「わくわくさん」の工作に近いもの……というべきでしょうか。素材が紙細工、ゴミになってしまうかもしれないものが作品然としだす、おかしさを思い出します。勝手な価値が突然生じて、それに基づいてつくってしまったわけのわからないものが、親から面白がられる。教育の中に入りながら、生き生きとしているのが面白い。

 

新谷:ノッポさんですよ、『つくってあそぼ』ではなく『できるかな』です。ここには大きな違いがある。わくわくさんは子どもでも作れるように作り方を説明してくれるでしょ。確かにそのほうが教育的ではあるけどノッポさんは違う。黙々と変なものを作り続ける。それに一々ゴン太君が驚く、それだけ。わくわくさんは「工作の授業」、ノッポさんは「魔法」。新聞紙が変なものに化ける、感動を楽しめるのはノッポさんの『できるかな』ですね。大人になっても観ていましたよ。NHKの教育番組には90年代くらいまでそういう手作りの変な匂いが残っていましたが、2000年代入ってから完全に変わってしまった。そういえば、以前何度か教育テレビで放映されていて、見るたびに驚かされる作品がありますので……。

(ここでNHKの教育テレビで何度も再放送された木製洗濯バサミといじめられっ子の交流を描いた人形劇(タイトル不明。「ひょっこりひょうたん島」のようなスタイル)を観る。木製洗濯バサミの頭に、棒人間状の身体がくっついている人形たちが、いじめられっこの少年に恩返しをしようとする。にいやさんはこの洗濯ばさみ人間のデザインと、少年との交流の再現の思い切りの良さに驚かされ、何度も録画しようと試み、ようやく本編開始後2~3分のものを録画できた。これはLOFT+1にて行われた『ソドムの市』上映記念イベントでも参考上映されたらしい。)

 

―― 作り手からすれば、これこそアニミズム、身の回りのものを擬人化しようとしてつくったのでしょうが……。

 

新谷:目ん玉飛び出した洗濯バサミのキャラなんてかわいくもないし、むしろ不気味でしょう。身近なものに目をつけたつもりでしょうけど、脚本渡されても困るでしょうね。風俗から見て、これの本放送は70年代初頭ではないかと思います。巨大な洗濯バサミなんて、完全に妖怪ですよね。良い作品とも思わないけど、一度観たら忘れられない。「超現実」の極北かもしれない(笑)。
ほかに教育テレビではプリンプリンの出ていた『あいうえお』(番組自体は75年放映開始、01年まで放映していた小学校一年生向け国語の番組。プリンプリンが担当したのは95~6年。当時のキャスト(配役)は、波瀬満子(オコソトノ女王)、小林美樹(キャキュキョ姫)、プリンプリン(アッキー&ウーナ)。)も好きでした。どうも「教育番組なのに面白すぎる!」という苦情が来たらしい。「あいうえお」という言葉そのものを詩のように楽しむ、それがとても面白かったのに。そういう見方って、フィクションを楽しむ前に「嘘だ」と文句を言ってしまうようなものです。『できるかな』も『つくってあそぼ』になって教育化しまう。手で触って何かをつくる事、それはお金では買えない、純粋な喜びです。それは自分がどうやって、この世界と関わるかという事でもある。生活のためにファミレスでバイトしてますけど、これも手を使ってお客さんのご飯を作る仕事です。僕の作品は全然お金にならないけど「実業」だと思ってます。

 

【2、アートアニメーション 『納涼アニメ電球烏賊祭』】

 

―― 新谷さんから事前に何作品かアニメを送っていただいたのですが、ラディスラフ・スタレヴィッチの『マスコット』に最も驚かされました。人間と動かす対象のぬいぐるみの区別がまるでされていないかに見える光景は、もう二度とありえないのではないかというくらい妖しい魅力があります。新谷さんは、こういった作品の影響を受けられたのでしょうか? それはいつ頃のことでしょうか?

新谷:スタレヴィッチの『マスコット』は30年代のもので、まあ、そんなに古くは無いでしょう。なんといってもトーキーになっていますから。でも作りはサイレント映画に近く、台詞らしい台詞はほとんどない。(レイ・)ハリーハウゼンになると、トーキーも推し進められ、カラーになり、リアルな表現も入り込んでます。でも、両者に通じる不思議な匂いがあります。それは映画黎明期の(ジョルジュ・)メリエスの作品にまで遡れるでしょう。メリエスの作品は、当時「魔法映画」と呼ばれていたそうです。元々魔術師だったからか、自分で名乗ったのか、外国でもそう称されていたのか、ともかく「魔法映画」というジャンルが存在し、それはいつしか失われていったようなのです。僕たちが観ていた日本の作品で考えれば、東宝特撮にある時期まで引き継がれていた感覚やモノクロ時代のまんが映画も「魔法映画」と呼びうる物ではないでしょうか。ただ、いま商業映画のなかに「魔法映画」はあるのか。多くの作家、例えば宮崎駿も魔法映画(=まんが映画)を断念することで商業映画として成立しているように思えます。『パンダコパンダ』はまんが映画と呼ばれるけど、『トトロ』や『ポニョ』はアニメーションでしょ。魔法がどこかで解けている。いわば特撮からピアノ線が駆逐された時点で、何かが変質したような……。ピアノ線が見える映画こそ「魔法映画」、ってのも矛盾した言い方ですけど(笑)。メリエスやハウゼン、スタレヴィッチの作品は僕にとってシュヴァンクマイエルやクエイ兄弟よりも、はるかに惹かれる存在です。メリエス達の作品は、シュヴァンクマイエル達のような個人(の作家性)に回収されるような物ではないと思うんです。
アレクサンドル・アレクセイエフの『鼻』も大阪のデザイン専門学校アニメーション科の授業で最初に見せられました。非常に衝撃を受けましたね。板に何万本も針をさし、それに斜めライトを当てて生まれる影で画を描く、ピンボード(ピンスクリーン)アニメという手法で、幽霊のような黒いモヤモヤがこの世の物ではないような迫力で浮かび上がってくる。一日一枚しか撮影できないくらい手間のかかる作業で、夫婦で作って生涯で短編四本くらいしか完成しなかった。まさに血で作った作品です。
僕の出た大阪デザイナー専門学校アニメーション科は、70年代半ばから、おそらく日本で唯一アートアニメーションの教育をしていました。他所のアニメーション学校はテレビアニメの予備校的な性格で、現場への就職を目指す授業なのですが、大阪校はアニメーションを通じて「物作りの基礎を体験する」事を目指した変わった学校でした。おかげで未だに僕はお金になる仕事を全然やってません。純粋に物を作る楽しさ、喜びを体験し過ぎたんでしょう(笑)。
80年代になるとノルシュテインはじめたくさんのアートアニメがやってきました。イギリスやカナダ、ヨーロッパ圏でそういった作品(いわゆるユーロアニメーション)をつくれる理由のひとつに、16mmカメラと撮影台があり録音も出来る施設を、わずかな会費さえ払えばいつでもつかえる、アニメーションワークショップの存在があったようです。そんな工房が各地にたくさん存在してたそうです。日本で16mm作品を作るのは大変です。5分くらいのアニメーションを16mmでつくったとして、製作費はいくら必要か。学生時代先生に聞いたら、フィルムは8mmの倍くらい。でもスタジオ借りて録音するのに30万かかる。そんなお金はないから、8mmで作ってました。知人が機材をもっていたり、学校等の組織に関わっていないと、田舎で16mmの作品を作るのは容易ではなかったです。
僕の夢は、アパートの一室を借りて、大阪校卒業生でお金を出し合って16mmカメラを買ってワークショップをつくる事だったんです。でも仲間が集まらなかった。アニメーションをやりたい人間は卒業すると、皆東京に出て業界に入ってしまう。商業アニメではなくアートアニメをやりたい人間はもっといるかと思ったけれど、皆デザイン会社に就職してしまいました。5年間くらい学校に出入りして仲間を探していたけど、一緒にやる人間は居なかった。東京では、いま武蔵野美術大学でお世話になっていますが、黒坂圭太さんが関わっておられた「アニメーション80」というサークルが精力的に活動していたそうです。そんな事全然知らず、僕は大阪のアパートを引き払い、田舎にこもって一人でアニメをつくりはじめました。それが『烏賊祭』です。


「納涼アニメ電球烏賊祭」 にいやなおゆき作品 (1993年 8ミリ→VHS→DV  
5分)
新谷解説:使用機材フジカZ400。8ミリ作品。自由連想的に作られたアニメーション。(YOU TUBEにて鑑賞可能)MTV Japanで再編集版が『IKAMATSURI』のタイトルで放映。

編集者解説:少年は電球を眺める。電球のつるされた夜の海・夏祭り・売店の烏賊・烏賊漁の船・海から飛び出す烏賊・飛び散る水滴の輝き・宙を舞う烏賊・烏賊の舞う宙・そこは烏賊の群れで銀河系と化し、やがてはこの闇を見つめる少年のもとへ。電球、烏賊、少年の口の中、そして紐へとイメージは変遷し、やがて明るい日差しの青空のもとへ……。
新谷尚之氏による壮大な宇宙観が炸裂するアニメーション。それぞれのものの質感が光と闇のなかで結びついていく解放感が強烈だ。イメージの連鎖は高度なユーモアとも受け取れる。

新谷:この作品は8mmです。でも原版は火事で燃えてしまった。縁あってMTVジャパンが買ってくれて、デジタルテレシネしたものをVHSでもらいました。そのVHSコピーを友人にあげたものが現在最良のソフトです。上映用の物は、8mmからデジタル原版、VHS、そのVHSコピー、DVテープ、DVD……と世代を経ているので細部の描写は見えなくなってます。使用機材は三脚一本、カメラ一台、スチール物差しが二本、そんなものです。先ほどの目盛りを利用しながら(写真解説②参照)、タイムシートにそって撮っています。撮影したことない人にはわかりづらい話と思うけれど…。カメラも中古で二万円くらいのZ400です。専門的な話をもう少しすると、細かいオーバーラップが結構あります。ZC1000ならカウンターににあわせて巻き戻し、再撮すれば簡単にできるけれど、Z400は細かい目盛りがないから精密なオーバーラップができない。仕方ないのでカメラに耳をつけて、巻き戻しの歯車の音を聞くんです。それで6コマオーバーラップみたいな細かい撮影をしてた。製作には二年半かかりましたね。絵コンテを煮詰める期間も長かったので、結局5〜7年くらいかかっています。
実際はセルアニメですから立体的に見えるような照明もしてないですけれど、それでも立体的に見えるとしたらアニメーションとして成功したということです。フィルムって化ける。でもデジタルは化けるより、バレてしまう。細かいアラが見えてしまうんですね。フィルムは空気感と言うか、奥行きが出ます。だから魅力的です。ただ作業的にも経済的にも今では非常に厳しい。
音は友だちの持っていた1トラックの映写機を使って入れました。金がないから2トラックの映写機なんて買えないし。実写作品も同じ映写機で音を入れてます。『酒乱刑事』(後述)の音が悪いのは何度も録音しなおして、サウンドトラックが擦り切れてしまったからです。録音のし直しなんてデジタルなら簡単にできる作業です。思えば、この数年で自主映画制作の体勢は完全に変わりましたね。ただ先ほども話しましたが、『烏賊祭』では半分仕方なく録音した映写機のカタカタ音が、ボーっと魅入られるような効果にもつながっているかと思います。
『烏賊祭』は労力がかかった割には商業的に上映されるわけでもないし、見た人は面白がってくれるけれど、国際大会に出品すると本選、佳作上映、残念上映会、すべて落とされます。テーマが言葉で説明できるようなものでないと海外の審査員は受け入れにくいんでしょう。西洋の人には作品の意味ばかり尋ねられます。日本人なら「ああ、綺麗ね」で済むし、深読みしてくれる人は深読みしてくれるんだけど。この作品を作ろうとした時も、友人や先生からも全く理解されなかった。「テーマが無い」「意味が無い」「完成しても見たくない」「作らない方が良い」と散々でした。完成しても公に認められるわけでもなかったので、アニメーションに疲れ果てて、十数年間リタイアしてました。その間は実写を作ってました。
でも、中古パソコンを買ったおかげで、ようやくアニメーションに復帰できたんです。『人喰山』なんてパソコンと机の上だけでつくれましたから、『烏賊祭』に比べると物凄く楽でしたね。

 

―― デジタルに移行し作業が楽になった今、紙芝居形式だけでなく、このようなイメージの羅列とも、優れたユーモアともつかないような、動きの魅力をもつ作品をまた制作されたいと考えておりますか?

新谷:もちろん作りたいです。でもしばらくは紙芝居形式で行きたいです。


写真①:原画
新谷解説:薄墨で書いています。で、黒くなるまで塗り重ねる。その上から透明水彩で色をつけていく。何日もかけて一カットつくっていました。大変に時間がかかる画法です。でも、自主アニメなんてそんなものです。そういう作家は一杯居ますよ。

写真②:目盛り
新谷解説:いまのデジタルアニメでは関係ないけど、フィルムでのアニメーション撮影は、背景をカメラの前でスライドさせながらコマ撮りしていくわけです。背景の上に人物が何人も通ったり、船が横切ったりする別のセル画を置く。背景とセルの(人物の)動きが上手く組み合わさるために精密な目盛りが必要です。背景とセルを目盛りに合わせつつ撮影していくわけで、ここに書いてある数字は背景の動きの目盛りとセルの番号なんです。背景は細密に動かさないとガタツキが出るので1コマ撮り。つまり秒24コマの撮影です。手前で動いている人物は大体2コマ撮り、つまり秒12枚。動きの違う背景とセルを目盛りにそってシンクロさせていくと予定通りの動きになるのです。でも、撮影は大変。一日がかりで10秒も進まないでしょう。
お金も機材も何もないので、馬糞紙(ボール紙)を文房具屋で買ってきて、スチールの物差しが通るくらいの隙間をあけ、物差しをはめ込みます。これに背景をテープで貼り付けてスライドさせるのです。非常に原始的な撮影方法です。
本当は線画台があれば楽なんです。タイトル撮影用に昔の映画会社ならどこにもあった大きな撮影台(数千万する)で。複数の板がハンドルを回すと別々にスライドします。その手前にセルを置くわけです。もちろん僕にはそんな機材はないから、畳の上に馬糞紙を敷いて、スチール物差しをはめこんで、画をスライドさせながら撮っています。
昔、赤瀬川源平が「その人がつくる作品はその人の生活環境による」と言っていました。小さい画を描くなら小さなカンバス、少量の絵の具で描ける。でも大きなものをつくろうとすれば、それなりの場所、アトリエが必要になってしまう。赤瀬川さんも貧乏で狭いアパート住まいだったので巨大オブジェをつくるときは苦労したそうです。アニメーションも同じですね。膨大な作業ですからアパートの一室では出来ません。『烏賊祭』も、実家に引っ込んで、作画用の部屋、撮影用の部屋を別々にして、常に作業出来る環境があったから出来たんです。現在のアパート暮らし、バイト生活じゃ無理ですね。

(編集注:線画台についてこれらのサイトに詳しく掲載されていた。
HYPERLINK "http://www.pt-box.com/jp/tech/set_senga.html" http://www.pt-box.com/jp/tech/set_senga.html
HYPERLINK "http://plaza.bunka.go.jp/museum/archives/comadori/24.php" http://plaza.bunka.go.jp/museum/archives/comadori/24.php
HYPERLINK "http://www.da-tools.com/" http://www.da-tools.com/  )


写真③ 色つき絵コンテ
新谷解説:なんで色をつけて書いたかと言うと、学校で先生や友人に見せたら総スカン食ったんです。テーマも無い、話もわからない、そう言われたから少しでも内容が伝わるように色をつけました。プレゼンテーション用絵コンテですね。

 

【関連アニメーション作品紹介:北川篤也監督『大強奪 ピエタ』(97年)】
『人喰山』での紙芝居アニメの元ネタといえる手法を、この実写映画で新谷さんが行った。
映画は三億円強奪事件の犯人と思しき人物が、一切年をとらず、またも同様の犯行を起こしに帰ってきたのでは…というサスペンス。劇中、犯人の関係者と思しき女性が、雨の中での三億円強奪事件の様子を語る。その際、語られる事件の様子を再現する予算がなかったため、新谷さんが墨で画を描き制作した。墨で書かれた紙芝居調の、一枚一枚画で語られていく回想とも幻想ともつかない光景が、この映画の中での三億円事件の時世を現実のものとずらし、まるで民話を聞いているかのような瞬間を引き起こす。これは映画のなかでの三億円事件の独特の立ち居地に説得力を与えるファクターにもなっている。
同じく北川監督作品『インフェルノ 蹂躙』(97年)では、殺人鬼夫婦の生活しているアトリエ内の美術を担当されている。そこでも殺人鬼の描いた絵画が、エド・ゲインの自宅を基にした『悪魔のいけにえ』(74年 トビー・フーパー)でのレザー・フェイス宅の造形同様におぞましいオーラを放ち、説得力を与えている。何もかもが血の色に染まっているかのような禍々しさは、劇中では登場した瞬間、もう後戻りの利かない次元に行ってしまった気にさせる。ただし終盤画のひとつひとつがアップになり、クレジットで新谷さんの文字を見ると、そこかしこにユーモアが溢れている。一枚、『人喰山』ラストの鬼の祭りに似たものもある。


【③ 実写作品について】

今回何本かの実写作品を見せていただいた。これらの作品について最も言及されている本は『映画の魔』(高橋洋)だと思うが、勿論自主映画のためソフト化もされていず、上映機会もほとんどない。多くの読者が見ることのできない作品について書いても仕方がないのでは……と新谷さんよりご意見いただいたものの、その制作過程のいくつかは、画面よりも台詞、台詞よりも物語、物語よりも内面描写や半端なリアリズムに気をとられてしまう身としては、非常に興味深い。その興味深い点を中心に、拙い感想と新谷さんよりいただいた作品解説、引用、そしてご自宅でのインタビューを交えつつ、フィルモグラフィ形式に紹介していく。いずれ上映会か、DVDにするのもありかもしれないが……。絶対に見たいという方は、編集部か、「幻のソドム城」までご連絡ください。

新谷:デザイン学校卒業する前につくった作品(マンガ、アニメーション)も何本かありますが、それらは全て火事で焼けたり、紛失してしまったり、廃棄されたり……。結局『烏賊祭』から『人喰山』まで10年以上かかってます。ひとりでアニメをつくるのは大変なんですよ。作ったことのあるひとならわかると思いますが。アニメーションにはもううんざりしまして。
その後、東京で高橋さん達、実写の友達が出来た事がきっかけで上京して、友達と一緒につくったのが、これらの作品です。東京に出てくる時に、アニメーション的な発想で実写を作ろうと決めたのです。それが先に話した「魔法映画」的な方法。作り物(キャラクター、小道具、世界設定)を梃子にして「超現実」を呼び込むと言う事。僕はたいてい製作・脚本・美術・出演という役回りです。我々の作品は、その時その時、カメラを回している人間が演出をしますから、作家主義的な意味での監督はいません(その時出演してない人間がカメラを回す)。発表の時は、編集、音入れなど最終的な仕上げをした人間が対外的には「監督」を名乗ります。今みなさんに見てもらって、笑いが起きてるんで安心しました。ひく人は完全にひいちゃうんで(笑)。

 

「あついヤギ ~プリンセスヤギ~」 井手豊作品 (8ミリ→DV 5分)
新谷解説:井手豊による、おかまユニットのプロモーションビデオ。
 美しいおかまさん(編集者注:ヤギです)二人が、美しい『もののけ姫』のテーマに乗って田舎の河原で踊り狂う名作。
編集者解説:今回のインタビューでほとんど言及しなかった作品だが、この作品のセットの「チープ」とは異なる奇怪さは、『マルチプルマニアックス』(ジョン・ウォーターズ)、『ヤクザVS地底人間』(植岡喜晴)、『TOKYO』のレオス・カラックス編『メルド』など凶悪なまでに炸裂しており「同じ思想の基に」つくられていると思う。さらに付け加えると、セットの異様さでは『TOKYO!』のミシェル・ゴンドリーの自主映画「愛」という嫌らしくすり寄ってくるような醜い根性のキワモノよりもずっと感動的だ。


「酒乱刑事」 小寺学作品 (1994年 8ミリ→DV 15分)
新谷解説:監督の小寺学自身が主演した、酒乱映画。撮影&演出は案の定、「その時出てないスタッフ」。小寺はじめ、参加者全員がシナリオを家に忘れ、ますますデタラメになったダダイズム映画。
編集者解説:高橋洋監督の90年代ベスト日本映画の一本(『映画の魔』p.309、『映画芸術』00年春号にて掲載。ほか『YYK論争 永遠の誤解』(沖島勲)・『ヤンママ愚連隊』(光石冨士朗)・『地獄の警備員』(黒沢清)・そして後述する『みなものむこう』(井手豊))に選出される。町中にカブトガニが出没する。カブトガニを食した人間は全員発狂し、カブトガニ音頭(?)を踊りだす(最初に発狂する酔いどれ課長を新谷さんが演じている)。この怪事件を解決すべく特効刑事(大和屋暁がヘルメットを被って演じる)・宝塚刑事(渋谷哲也が化粧をして演じる)・若僧刑事(安本浩二)、そして酒乱刑事(小寺学)がビック署長(新谷さんの設計。簡単な設計図を書いて岡山から郵送し、現場で組み立てられてできた巨大紙人形。部下が後ろから動かしている)の指揮のもと捜査に乗り出す。しかし誰も彼も思いのままフラフラとさまよい歩くばかり。唯一まともそうな若僧刑事も上下関係が災いしてか、その名のとおり昼間から呑んだくれの酒乱刑事の世話ばかりさせられ捜査どころではない。しかしラスト、多摩川沿いにフラッと寄った若僧刑事と酒乱刑事はカブトガニで発狂した人間たちによる祭りに出くわす。さらにその場にカブトガニの大群が押し寄せてくる。ちょうど良いと言わんばかりにカブトガニを酒のつまみにしてしまった酒乱刑事は発狂。カブトガニの集団と狂宴の中、酒乱刑事は巨大カブトガニと化し、若僧刑事を置いて川の中へと消えていくのだった。
高橋洋氏がどこかで指摘されていたとおり、この映画はどこか漫画『暗黒神話』(諸星大二郎)に似ている気もする……。ラストを若僧一人が残され、半ば発狂状態だった酒乱刑事は、より神聖かつ天然の巨大カブトガニと化し、自然の世界へ消えていったのだ(このシーンはカレル・ゼマンの特撮から影響を受けた?)。置いてかれた若僧刑事は、いつも怪異に置き去りにされ、悟ったような状態になってしまう妖怪ハンター稗田礼二郎のようなものだ。自然物と人工物の境界線を溶かす妖怪カブトガニによって、『酒乱刑事』から野蛮な8mm映画の本性を見せつけてられた。
全編を流れる歌謡曲と、それにあっているのかいないのか困惑させられる酔いどれのふらつき、刑事のサポタージュの数々、そんな無駄ばかりで構成されている。弛緩しないのは、やはり歌謡曲のリズムのお陰か、編集の妙か、俳優陣のいい加減さの極みか、それとも映画自体がいい加減なのか。そんなやる気がある人間もない人間も、一同に踊り狂うクライマックスに感動した。

新谷:『烏賊祭』をやっている頃に岡山で鈴木清順さんを呼んでの上映会があったんです。僕はお客で行ったのですが、そこで知り合ったのがこの映画を撮る小寺学です。彼の友人として渋ちゃん(ドイツ映画研究者の渋谷哲也)とも知り合った。彼らとよく映画の話をしていたのですが、そのうち小寺は上京し、清順さんを通して大和屋(竺)さんを紹介され、さらに高橋さん、井川(耕一郎)さん、塩田(明彦)さん、島田(元)さん、西山(洋市)さんら、映画王のメンバーと知り合った。で、僕が東京に遊びにきた時、高橋さん達を紹介してもらって。すっかり仲良くなっちゃったんで上京して来たんです。
『酒乱刑事』は、僕がまだ岡山に居る頃、連休に上京して小寺と一緒につくりました。東京の連中と知り合いになったばかりの時期です。小寺が書いた簡単なシナリオはあったけど、全員現場に持って来るのを忘れた。「監督」の小寺まで忘れて来た。小寺曰く「まあ良いよね、シナリオ、あっても無くても同じだし」。実際そうなので、小道具(100円ショップで買った玩具)を持ち歩きながら、その場での思いつきを即興撮影しました。ただし、こういう作り方の映画は編集に時間かかります。編集しながらシナリオを書き直してるようなものですから。
特攻刑事を演じたのが大和屋さんの息子の大和屋暁君、若僧刑事を演じたのが安本君。彼は暁君の友人で、『スチュワーデス物語』の脚本家、安本莞二さん(増村保造のお弟子さん)の息子さんです。彼らは同じ学校のクラスメイト同士だったんです。出席簿が同じヤ行で並んでいたから知り合いになった。それからお互いの父親が脚本家と知り、父親同士が紹介されて仲良くなり、家族ぐるみの付き合いになった。ちなみに小寺の一番好きな映画が『殺しの烙印』、僕は『スチュワーデス物語』が好き。僕も小寺も安本君のお父さんが脚本家とは知らなかった。『酒乱刑事』の撮影打ち上げで初めて知ったんです。いつのまにか自分の一番好きな映画・ドラマの脚本家の息子さんと飲んでた(笑)。全て偶然です。
いまは僕の仲間も結婚したり、本業が忙しくなったり、バラバラになってしまいましたが、『烏賊祭』から『ソドムの市』までの10年近くは、仲間と週2、3回は鍋を囲んで酒飲んでバカ話してました。映画のアイデアが出たら3日くらいで即興撮影、予算ほぼゼロで作り続けてました。基本的に中心メンバーは3人。手伝いやゲスト出演が2〜3人くらい。総勢6人くらいのチームです。撮影は三日ですけど、編集には半年くらいかかります。様々な形で、十数本は作ったでしょうか。
映画美学校ができてからは、我々のチームで自主映画講座「三日で撮れる?即席映画大会!」や8ミリ体験ゼミを担当し、それが最終的に『ソドムの市』につながっていきます(編集者注:美学校での詳細は次章にて)。
身近にすぐに動ける仲間がいる、それは重要だと思います。美学校の一期生、清水崇君や安里麻理さんは商業監督で活躍していますが、二期生の松村浩行君や遠山智子さんは商業映画ではなく、卒業生仲間と自主作品で活動してる。彼らの製作チームは、監督が考えている以上のことを実現させられる素晴らしいチームだと思います。そこで産まれた傑作が松村君の『TOCHKA』や、遠山さんの『アカイヒト』。同窓生だけでなく、美学校の後輩、講師、外部のスタッフ、様々な人たちが有機的に繋がってこれらの作品は成立してるんです。映画は決して監督の作家性だけで作られるものではないですから。でも、こういう自主映画チームってのはギャラが出るわけではありませんから。各自の生活が変わってしまったら活動出来なくなる。気心の知れた仲間と純粋に映画が作れるのは、一生に何度も無い、とても貴重な時間なんですよ。


写真① メモ
新谷解説:大量に這っていくカブトガニは画用紙に色をぬってつくった切り抜き紙細工です。すぐ組み立てられるようにして、十数枚を束にして現場に持って行きました。折り紙みたいな物ですね。河原でセロテープではりつけて完成。出演者スタッフ全員でひもを結びつけて引っ張りました。「リモコンか?」と聞かれた事がありますが、そんなハイテクじゃありません。

写真② カブトガニ
新谷解説:これは大量に這っていくタイプとは別のアップ用カブトガニですね。新聞紙を木工ボンドと糊で貼りあわせつくりったハリボテです。(注:本編中ではその「カブトガニ」鍋に野菜を入れ茹でて食べている。これを食べた人間が発狂し、カブトガニ音頭(?)を踊りだす)。
小寺が背中に背負って水の中にはいった最大のもの(注:本編中、小寺さんは巨大カブトガニと化すために獅子舞のように、ランドセルのように甲羅を背負って川へ泳いで入った)は、馬糞紙をガムテープで組み立てて作った、いわば巨大な折り紙です。スプレーのペンキで色をつけてます。最初撮影した日は台風の翌日だった。小寺が川へ飛び込むのを、僕が撮影していたけど、雨で増水した流れにさらわれて、カブトガニを背負ったまま溺れかけた。助けもせず撮影していたけれど、フィルム切れでNG。仕方なく、もう一回組み立てセットを送って撮影しなおしたんです。


『舞姫』(DV)
監督:小寺学
主演:渋谷哲也
新谷解説:渋谷哲也がドイツに留学していて、小寺が遊びに行く事になって。で「ドイツで映画を撮って来る」と言うのです。「何を撮るの」「舞姫」「なんで」「ドイツだから」という短絡企画。小寺は塩田さんから8㎜ビデオを借りて行ったのですが、結局、冒頭の鴎外(渋谷)とエリスの出会いだけを撮って帰って来ました。その後ドイツから「あの作品はどうなったのか」との矢の催促。仕方ないので、僕が後半をでっち上げて、一日で撮影。だからあんなメチャクチャな話になったのです。後半撮影は、岡山在住の井手さん。この頃つくった中では唯一のDV作品です。
編集者解説:インタビュー中、あまり触れられなかった作品。その名の通り、森鴎外の『舞姫』そのものを果敢にも映画化! ドイツ人女性による朗読シーンは、ストローブ&ユイレへのあまりにも愚直なオマージュとも、「最後の侮辱」ともとらえかねる。だが突如、日本が沈没、エンディングへ。編集員全員呆れかえった。実際日本が沈没したら、何人かはこういう笑っちゃうようなトラブルとして受け入れるほかないのかもしれない……。全編無国籍で無責任なテイスト。

新谷:でもね。これは本気で鴎外とエリスの愛を成就させようという気持ちで作ったんですよ。小寺は何度も鴎外さんのお墓に参って「映画を撮らせて下さい」ってお願いしてました。この世で結ばれなかった二人が、あの世(?)で結ばれる。現世のしがらみから解放されて、男と女という縛めからも解き放たれ、究極の純粋愛に至るっていう、これは純愛ドラマなわけです。

『孤独の円盤』 (8ミリ→DV 8分)
にいや・井手・上野つぐみ、コラボレーション作品 
新谷解説:現代美術作家、上野つぐみの要請で、にいや&井手が参加し製作したインスタレーション用映像作品。
 「UFOとは、未確認の生物」との設定で、井手豊氏のホームグラウンド岡山県津山市を舞台に撮影。岡山県奈義町現代美術館で映像展示。
編集者解説:この作品の冒頭に津山の映像を混ぜ、『みなものむこう』になるのだが、それは30分間の「井手豊監督作品」だ。『みなものむこう』は『酒乱刑事』の項でも触れたが、高橋洋さんに90年代ベスト日本映画の一本に選ばれた。
『みなものむこう』で映される津山の博物館に展示された剥製・ホルマリン漬けたちは、つぶらな瞳を輝かせている。外へ出れば、水辺に草木やイモリやカエルの卵が輝いている。もはや動きを失ってしまった動物たちも、生を謳歌しているはずの動植物も、映されるカメラマンの指も、観察に明け暮れる新谷さん、村の中学生、いずれも生き生きとしている。そしてUFOが徐々に津山で「誕生」し飛び交う様子まで見せられれば、そこにもはや普通の生態系は存在しない。陳腐なエコロジーは崩壊寸前だ。そんな中でも、ひとり、上野つぐみさんと思しき段ボールの小箱を抱えた女性のみが落ち着き、静かに村をあるくのだった。

―― 見る人間の価値観を変えてしまうような怪しさは、『みなものむこう』を見たときもっとも強烈に感じました。この作品で新谷さんは出演と美術をされていたかと思いますが……。UFOが森の中で卵から生まれるシーンにしても、ものの見え方が変わる。人工物が自然に紛れ込んでいき、自然そのものもそれを取り込んでいく怪しさをましていく。

新谷:『みなものむこう』のベースになった『孤独の円盤』は井手さんと、上野つぐみさんという前衛美術作家の方とつくりました。彼女は『舞姫』でもゴミ袋でウェディングドレスを製作してくれ、いろいろと手伝ってくれていたんです。岡山の奈義町の現代美術館で、彼女がインスタレーションをやることになり、その展示用映像の相談に乗ったんです。そこでUFOはどうかと提案した。僕は子どものころからUFOが宇宙から来たのではなく、異次元の生き物に思えていたので、それを映像化してみる事にしました。彼女に頼んでボール紙を丸く切り、まわりに綿をつけて生物UFOにし、釣竿をつけて飛ばしてみたんです。井の頭公園で僕が飛ばし、彼女が写真で撮ってテスト撮影していたら、まわりが黒山の人だかりになった。子どもが「あれは生き物?」なんて騒ぎ始めたので、これはいけると。UFOの卵をカエルの卵みたいにしたいといったのは井手さんですね。これは片栗粉をお湯で溶いてゼリー状にし、中に仁丹を仕込んだんです。ふ化して飛び出す赤ちゃんUFOは食パンを指で丸めた物です。
実際に、奈義町現代美術館で上映した時は評判よかったですよ。観光バスで乗りつけたおばさん達(県北ですから、梨狩りツアーなんかの流れでバスが停まるわけです)が『孤独の円盤』を全編観て行ってくれる。8分の映像インスタレーションを、観光客が最後まで見てくれるなんて、普通あり得ないですよ。もの凄く嬉しかったですね。

【④ 映画は簡単に作れる?】

 

新谷さんは映画美学校の高橋洋ゼミでゲスト講師を務めていたことがある。そこでの活動の成果は『ソドムの市』に至るのだが、ここではその頃の講義で用いられていた映画製作方法を中心にお聞きした。

『ルンペンVSヌンチャク男』 にいや&井手作品 (8ミリ→DV 5分)
新谷解説:映画美学校で行われた「一日で撮る8ミリゼミ」作品。ゲスト講師として参加した、にいや&井手豊が演出&編集。
*「一日で撮る8ミリゼミ」とは。
 シナリオ無し、撮影機材は8ミリカメラ一台。撮影場所とキャラクターのみを事前に決定。5~6人でグループを作り、各人が順番に8ミリフィルム一本(3分)を即興で回す。
 演出は、その時カメラを持っている者が行う。出演はゼミ参加者と、その友人。
 結果、8ミリラッシュフィルムが6~7本出来上がる( にいや&井手もゲスト参加しているため)。これは全員の共有物とする。
 これをテレシネし、各人それを勝手に編集する。同じ素材から、別バージョンの作品が6~7本完成。
 本作品は、にいや&井手バージョン。他に、同じ素材から作られた作品が5本存在する。5~6人のグループは3チームあり、三日間のゼミを行ったので、15本以上の短編作品が完成。
編集解説:川べりで乱闘している男女がいる…、粗筋は「凶暴なルンペンがヌンチャク男との闘いを経て平和に目覚める」だと思う。映画自体もほとんど即興なので、見る側も次から次へ起こる出来事の数々からギリギリ何か読み取れたものを粗筋と解釈するしかない。そんな必要ないのだろうけれど。ただ内輪で楽しそうなだけに納まっていないのは、画よりもとにかくカメラの前でどれくらいのことをすれば、ただの遊び半分、冗談にならないか重視されたからではないか。カメラはそこではただの玩具同然だったのかもしれない。女たちが「花と蛇」みたく(そこまででもないが)ブランコの鎖にしばられているような画はグッと来た。素晴らしいアイデアだと思う。ぜひ多くの自主映画で取り入れて欲しい。ちなみに裸で川を泳いでいる場面が警備艇から注意されたという。

『牛乳屋フランケン ~サイレント版~』 にいや・井手・美学校生、コラボレーション作品 (8ミリ→DV 16分)
新谷解説:先の「一日で撮る8ミリゼミ」の元になった、公開ゼミ「三日で撮れる?! 即席映画大会!!」(山田広野さんがつくった映画とかつて新谷さんの撮った映画と一緒に上映。山田さんはいつも勝手に撮った映像に弁士で吹き込んでつくったもの。美学校で一緒に上映会をやった。)の実践編。
① あらかじめ、主要キャラクターと撮影場所、大まかな設定、粗筋だけを決める。
② 参加者から、やりたい事、行きたい所をアンケートする。(浴衣を着たい、麻雀をしたい、トランペットを吹きたい、動物園に行きたいなど)
③ 現場では、参加者全員から演出アイデアを募集。面白ければ採用。
王子の飛鳥山公園から浅草、多摩動物公園から二子玉川園と、東京横断ロケ観光……いや、敢行。冒頭のフランケン誕生シーンは、某『フランケン』映画と、飛鳥山公園の機関車内部をまぜこぜ編集。ありもの素材を流用して、作品をでっちあげる例として必見。


新谷注:(上記解説は)美学校での上映会用の物なので学生向けの書き方になっていますが、ご参考までに。まあ、ああいう考え方で作品を作っているという事です。「三日で撮れる即席映画」または「ピクニック映画」と言われています。


編集者解説:上記のありモノ素材の引用が影響してか、正規の公開は非常に厳しくなっている作品の一つ。『狂気の海』上映時カップリング候補だったらしいが、権利問題生じる恐れから公開されていないという。牛乳を飲んで動くフランケンシュタインと少女の交流が描かれる。ふざけた話のようだが、全然ふざけているとは思えない、当日見せていただいた作品のなかで珍しく哀愁漂う映画。よくよく考えるとふたりで遊んでいるだけのようなシーンが続くけれども、編集の努力あってか、全てが切なく、儚い記憶のよう。内省化して悩んでいるよりも、いろいろ撮っておけば後で何とかなるのかもしれない。それでも一体どのような映画になろうとしているのか、唐突な飛躍を繰り返し、全く予想がつかなくなる。ラストはふたりを祝福するかのような解放感溢れる祭りでしめくくられ(あくまでいい意味で)どうでもいい気持ちになる。取材当日大雨だったのだが、この映画の上映中夕焼け空になった。

新谷:『牛乳屋フランケン』は美学校のゼミ関連で、即興演出の映画を撮ってみようというところからはじまりました。こういう映画作りもあるよと学生に見せるためですね。
美学校の実習作品製作は、企画を立て、脚本を書き、撮影する、通常の製作システムなのですが、多くの学生は脚本をどう書いたらいいかわからないし、実際現場でどう演出したらいいかもわからない。一期生は16mm経験があるとか、プロの現場経験があるとか、ある程度の縛りを設けて生徒を募集していましたが、二期生からはそれを取っ払って募集したんです。学校側としては、みんな自主映画を作った経験くらいあると思っていたのですが、実はみんなつくったことがなかった。だからカリキュラム通りにやらせようとすると、どうしても硬くなって、のびのびと映画をつくれない。そのことを高橋さんから相談されたのがきっかけです。油絵を勉強するにしても、小さい頃から落書きが好きで、それからデッサンなど正規の訓練を受けるほうがいいでしょう。物を作る楽しさが原動力にならないと。だから映画製作でもまず落書きを体験させよう。それが「一日で撮る8mmゼミ」でした。
僕は最初、井川さん監督の実習作品『寝耳に水』の特撮・劇中アニメ協力で美学校に呼ばれたんです。それから数年間、美学校作品の劇中画・特撮等で関わってました。でも、美学校もデジタル仕上げに移行してしまいましたから、お呼びがかからなくなりましたね。実際デジタル合成のほうが便利ですし。でもフィルムで特撮やアニメをつくるという、何も無いところから画を発想し、どうやってそれを組み立てるか、頭の中で設計図を書くという経験こそ、映画そのものを発想する力になると思いますよ(編注:第一章にて掲載したサイレントから映画を発想していく試みに近いのでは?)。

―― 今は武蔵野美術大学で教えられているそうですが。

新谷:生徒の作品は面白いですよ。映像学科の基礎課程を担当しているのですが、黒坂圭太さんがアニメーション科の主任です。黒坂さんに頼まれて引き受けたのですが、どのような授業なのか尋ねたところ、一昨年までは美学校のように8mm講座をやっていたそうです。「基礎課程」の授業なので、写真をやりたい人も映像をやりたい人もアニメーションをやりたい人も全員が受講するわけです。そこで手で触って自分で考えながら映像をつくる最初の体験として8mm作品を作らせてたそうで。つまり発想もきっかけも美学校と同じでした。ただ8mmフィルムを大量に入手できない状態になったため、昨年からデジカメを使用したアニメーション製作へと変更したそうです。
アニメーションのカリキュラムとして最初にやるのはカリグラフ、16mmフィルムを引っ掻いてパラパラ漫画をつくる事からはじめます。次に黒板アニメーション。黒板にチョークで一コマずつ書いて動かします。その次はピクシレーション、人間コマ録りアニメです。最後は自主作品で何をつくってもいい。こうして三週間くらいある授業の中で、いろいろな表現方法を体験していきます。このカリキュラムのテーマが、美学校の8mmゼミと同じ(サイレントから体験しなおそう)だったという事は、それが映像をあつかっている学校の根本問題という事かもしれません。

―― 個人的な質問なのですが、自分はまだ自主映画くらいにしか係わっていません。それでも『酒乱刑事』といい、この美学校で製作された作品といい、新谷さんたちの係わった自主映画のドキュメントな要素をとりいれられる包容力、もしくは反射神経の良さに感動します。

新谷:現実的には予算が無いからこのやり方を選んでいるんですが。だからこそ反射神経と言うか、思い切りも良くなる。ナイフ一本しか無ければ、それで戦うしか無くなるでしょう。色々な武器があり過ぎると、かえって作戦に迷いが出る。でも、僕の性格からして、潤沢な予算があっても、スケジュールから絵コンテ、シナリオまで、何も変更の許されない現場には行きたくないですね。
皆さんの現場ががうまくいかないのは反射神経の問題なのか……。僕らにしろ、高橋さんや黒沢さん達、かつての大学映研のグループも、美学校の連中も。チームワークの良い仲間というのは、普段からやりたいことを語り合っているわけです。飲み会が多いと言うか(笑)。だから、何ができるか、何をやりたいのかツーカーで。そこから作家性を超えた、誰のものでもないモノが立ち上がって来る。黒沢さんの『ドレミファ娘の血は騒ぐ』『神田川淫乱戦争』なんか、まさにそういう作品と言う気がします。黒沢清個人の作家性に閉じてないと言うか。商業映画だってそうでしょう。昔の映画界は「同じ釜の飯を食う」スタッフ・役者たちによって支えられていたわけですし。僕は本来個人作家だから、かえってグループで作る作品の、作家性を超えた「無名性」に惹かれるんです。
あなた方の作品に台詞はあります? まずは台詞なしで作る方がいい。台詞に引きずられると、画が自由に動かなくなる。映画の時間を「画」に委ねるのか「台詞」に委ねるのか。まずは「画」でしょう。「映画」なんだから。台詞があっても構わないけど、眼で見てわかる行為の連続で作った方が良いですよ。
半分即興で作ってるけど、作品の完成像は見えています。アドリブは入るし、その場での思いつきで撮影したりするけど、テーマやキャラクター設定は最初にしっかり決めてます。
僕は元々アニメーション作家ですから、頭の中で映像を思い浮かべて撮影してます。なんの根拠も無く、即席で作品を作ってるわけじゃないですよ。でたらめに見えるでしょうけど(笑)。『ソドムの市』の時もどういう特撮が出来るか、プランをスケッチしては高橋さんにFAXして、相談しながら作品の構想を練って行きました。高橋さんも映像から発想してシナリオを書いてましたね。なんたって特撮映画ですから。

―― その普段から飲みながら話してつくって……、というのはもう年中映画をつくりつづけているような感じですね。
ただ周りを巻き込むときに、シナリオを作ってから巻き込んでくれというような反応を受けることがあります。まるでそんなわけのわからないことに巻き込んで欲しくないという拒否感を受けるのですが。

新谷:普通は、そんなものですよ(笑)。だから我々のチームでも、中心になるのは三人。この三人は最後の編集、音入れまで一緒です。三人の間で、作品内容がしっかり共有されていれば、シナリオ無しでも大丈夫です。さらに、フォローしてくれたり、出演してくれたりする人が二、三人。撮影時二、三日だけの協力です。シナリオ無しで、即興撮影で作れる作品、しかも無予算とくれば、撮影規模はその程度でしょう。だけど、僕の作ってたような実験アニメ(今ではアートアニメと言われるようになってしまいましたが)は、たった5〜10分でも長編映画一本分の内容を表現出来る。実写のドラマが散文とすれば、短編アニメは詩なのです。だからテーマやストーリーが圧縮出来る。アニメに限らず、短編自主映画を誇りを持って作ってる連中は、たった5分の物でも長編並みの内容と熱意を盛り込んで作っていると思いますよ。

*昔、どこかの社長さんが言ってた事ですが。「事を起こすには三人必要だ、よそ者、馬鹿者、若者だ」そうです。第三者的な目を持った「よそ者」、不可能にチャレンジする「馬鹿者」、エネルギーの塊の「若者」という事でしょうか。我々の作品が成立する時も、やはり中心メンバー三人がそれぞれの役割を担っていたように思えます。

【5、 漫画作品・批評】
 

ホームページ『幻のソドム城』をご覧いただくと、そこには新谷さんの描かれた通称『地下漫画』の数々が掲載されている。普段ぼんやりと漫画を眺めながら読むような感覚で触れると、とんでもなく野蛮な展開は、愛嬌さえ感じる。それはあまり見る機会のない新谷さんの作品群と非常に近い印象を受ける。ぜひネットでご覧いただきたい。
ここでは、これらの漫画を描かれた背景についてお聞きすると同時に、新谷さんなりに周囲の漫画・アニメ・映画について批評的な発言をお話しいただいた。


・漫画作品の顛末

―― ホームページにて自作の漫画作品を紹介されていますが、それらの作品についてお聞きします。そもそもどういった経緯で漫画作品の製作をはじめられたのでしょうか?

新谷:漫画は物心ついたときから描いています。本格的に描いていたのは『烏賊祭』から『人喰山』までの10年間です。その頃、小寺たちとつくっていた実写作品はお金になるものではないので、漫画でも描いて生活の足しになれば、という事で。でも、どこへ持ち込んでもボツばかり、編集者さんに無茶苦茶嫌われる(笑)。生活の足しといえば、井川(耕一郎)さん、高橋(洋)さんの伝で、アニメーションの評論を書きましたね。まあ、30代はいろいろなことが出来て面白かったです。
僕が描くようなタイプの漫画を載せてくれるようなところなんて、どこにも無いでしょう。昔は漫画雑誌の数は少なかったけれど、幅が広かった。諸星大二郎も少年ジャンプ出身だし、どの雑誌にも必ずわけのわからないもの、どうして載っているんだろうと不思議な作品が載ってました。今は「どういう漫画が売れないか」がわかっちゃったんで、僕の描くような珍品は全然相手にされない。
文藝春秋が季刊で実験的に「文藝春秋」増刊「コミック'○○」という漫画雑誌を出してました。僕は「コミック'96」(96年)に応募して『真夜中の記憶』という作品で新人賞をもらいましたが、これが唯一の商業誌掲載です。季刊誌はすぐに終わって、「コミックビンゴ」という月刊誌になりました。連載の案もずいぶん出しましたが、結局編集さんと揉めておじゃんです。「コミックビンゴ」は、どういう読者が対象なのか、どういう雑誌にしたいのか、さっぱり分からなかったですね。いくら編集さんと話しててもはっきりしないし、こちらが描きたい物は拒否される。結局『真夜中の記憶』一本で終わりです。
同時期に佳作受賞された方々の作品でも、僕が面白いと思う漫画はどれも掲載されませんでした。この漫画、僕が描いたものじゃありませんが(注:文芸春秋漫画新人賞佳作入選作、作者と連絡とれず掲載許可得られず。『料理教室』作・小木曽幸穂 なぜか戦争が起きている街中で、ひとりの女子高生が料理の上手な中年男性に拉致される。彼は彼女の出演しているAVを見て、彼女の食生活を助けなくてはと焦っていた。『千子サン対徹也クン−ホテル街の決闘−』作・鍛冶徹也 殺人鬼の徹也君は美人ホステスの千子さんがおかまだと知って怒り狂う。千子さんは戦士のメイクアップで獣の能力を呼び覚まし、ホテル街で徹也君に決闘を挑む。)『千子さん』なんか、画も荒っぽい、ストーリーも無茶苦茶ですけど、もの凄い迫力がある。漫画というジャンルが持っていた闇雲なエネルギーに満ちてます。でも編集さんは「商品として使えるレベルにしたい」と言って使わない。だけど、毒にも薬にもならない漂白された漫画が世の中に溢れてるでしょう。せっかく文春が漫画に参入するなら、他がやってない事をやる方が良い。珍品扱いでも良いから、この作品はそのまま載せるべきだと主張したんですが駄目。貸本怪奇漫画のブームもあったんだから、チャンスだったと思うんですけど。小木曽さんの『料理教室』『いっいっ』は完成品ですよ。アクは強いけど、そのまま使えば良い。せっかくこういう変わった作家を賞金出して取ってるんですから、実戦投入しなきゃ、もったいないですよ。この方はその後エロ漫画誌で何本か発表されてるみたいです。
それ以降は持ち込みに行っても気違い呼ばわりされて追い返される、原稿を読んだ編集さんが泣き出す、「なんでこんな物を描いたんですか!」と怒鳴られる。うんざりして持ち込みはやめました。友人の編集者に頼まれて描いた健康ハウツー漫画も色々トラブルがあって出版されてません。ギャラもまともに出てない。出版社に原稿を廃棄された事もあるし、漫画に良い思い出は無いです。今ではパソコンで紙芝居アニメが作れるようになったんで、もう漫画を描く気はありません。
1999年の暮れにはアパートが火事になって、漫画の原稿も、アニメーションのフィルムも、機材のカメラやレンズも、収集してたビデオやLDも、趣味の写真も、大切な物が全部火事で燃えた。アニメ科の卒業制作や16mmで作ったアニメ作品も卒業した学校に預けていたんですが、これも紛失してます。20年以上作って来た作品が何も残って無い。鎮西(尚一)さんや、塩田(明彦)さんら、友人達が原稿のコピーを保管してくれてたいたので、それをスキャンしてホームページに掲載しています。公開できる漫画は、あれでほぼ全部です。

写真① 工事現場の安全教育ビデオ用の劇中画
友達に頼まれた工事現場の安全教育ビデオの劇中画で少々お金が入りました。おかげでコンピュータを購入でき、それで『人喰山』を作れました。ありがたいことです。

写真② 健康マンガ
小寺が編集担当で描いたハウツー漫画単行本ですが、色々トラブルがあって出版されなかった作品です。全13話、5〜10ページくらいの短編シリーズです。全部で130ページくらい描きました。元はコンビニ発売の予定だったのですが。結局ギャラもまともに支払われていません。描く作品描く作品、全部ボツ、焼失、他人の手で紛失、出版社が廃棄、ノーギャラ。それが20年続いて、作品が日の目を見ない事にすっかり馴れっこになってしまいました。全然良い事じゃありませんね。

・宮崎駿

―― 最近の漫画や映画で面白かったものはありますか?

新谷:上京してきたばかりの頃は劇場をまわったり、いろいろチェックしたりしてたけど、90年代半ばくらいからは、フィルムセンターや学生の作品を見ているくらいです。DVDで昔の映画も観れるようになりましたし。年齢の問題もありますね。20代の頃は何見ても面白かったけど、もうエネルギーが無くって。
漫画は70年代までしかキチンと読んでません、その頃までの漫画は表現がどんどん変化していて、革新の時代だった。『天才バカボン』なんかその好例でしょう。でも高度成長が終わって、日本経済が成熟した頃から漫画も変わりました。産業として安定したんでしょうね。80年代のジャンプの黄金時代あたりから、マンガの大量生産、大量消費の公式が確立してしまって「どうすれば最大公約数を取り込めるか」がわかっちゃった。ジャンプなんか何でもかんでもトーナメントになっちゃって。逆に私小説的な方向の漫画も出て来ましたけど、僕はどちらも苦手です。

―― 宮崎駿に対しかなり批判をされているようですが……。宮崎駿の具体的にどこのあたりに違和感を覚えるのか、お聞きしてもよろしいでしょうか?

新谷:90年代の『もののけ姫』から『千と千尋』あたりまで、評論の仕事でずいぶん書かせてもらいました。あの頃はまだ宮崎駿に対して批判的な事を書く人が居なかったですし、もの心つく頃から見続けていた観客として、思っている事を言わねばという義務感もありました。幼稚園の頃、『魔法使いサリー』や『レインボー戦隊ロビン』の作画時代から、ずっと宮崎駿さんの仕事は見てましから、この数十年で宮崎駿さんがどういう風に変わって行かれたのか。アニメーション業界の様々な流れの中で、作品を世に出すために何をあきらめ、何を選択されたのか。それを作品を通して見て来ているんです。決してバカにしたり憎んでるわけではありません。(詳しくは『ユリイカ』や、キネマ旬報社のフィルムメーカーズに書いた批評をお読みください。 参照:青土社『ユリイカ』「1997年8月臨時増刊号 宮崎駿の世界」「1997年10月号 日本映画 北野武以後」、キネマ旬報社『フィルムメーカーズ6/宮崎駿』 * 宮崎駿関連ではないですが「1999年5月号 モンスターズ!』にも寄稿しています)
宮崎駿という人はユートピアと地獄の間で揺れ動いてる人なんでしょうね。本質的に漫画映画的ユートピアを指向しているのに、戦争や災害、自然破壊と言った非常にリアルで重い社会的問題を扱おうとする。非現実的な漫画映画の表現で、現実的テーマを描こうとするから、様々な矛盾や嘘が入り込んで来る。今回の『ポニョ』はかなり文句を言われてますね。僕は観てないんだけど、問題点は同じだと思います。
でも、『未来少年コナン』『ルパン三世 カリオストロの城』までは僕も応援してたんですよ。漫画映画が持っていた夢やエネルギーを復活させようという理想に共鳴してたし、70年代の宮崎駿さんは僕にとっては憧れでした。だけど80年代以降、アニメーションの世界がどんどんリアル指向になって行って、彼が目指していた漫画映画的ユートピアが受け入れられなくなって来た。その象徴がクラリス問題でしょう。アニメ雑誌だったか、なんだったか、もう記憶もおぼろげなんですが。当時「クラリスみたいな純粋な女の子なんかいるもんか」なんて投書があったんです。それに対して宮崎駿が「世界中探せば、必ずああいう女の子が居る!」なんて反論してて。まあ文句を言ってる方も、実際はファンに決まってる。下らないけど、これは大きな事件だったと思います。つまり、単純素朴にユートピア=理想の世界・キャラクターを信じられなくなって来た、って事です。観客もそうだし、宮崎駿本人もそうでしょう。純粋に漫画映画の理想世界を描ける時代では無くなった。宮崎駿は自分が一番大切にしていたものを、どこかで断念したんじゃないでしょうか。
元々漫画映画を逸脱するような社会的テーマを孕んだ作家ではありましたが、漫画映画的ユートピアの信念というか、確信のような物が70年代の宮崎作品にはあったと思います。それが80年代以降、あまりに重過ぎる社会的テーマに対し、漫画映画的ユートピアが瓦解し始める。または無理矢理社会的テーマに、漫画映画的表現を適用して、木に竹を接いだようになって来る……。詳しくは先に挙げた評論を読んで下さい。

・結末はくる

新谷:僕自身、漫画映画的ユートピア=「なんでもあり」が好きなんです。でも「なんでもあり」なら「死ぬのもあり」でしょ。『天才バカボン』でも、バカボンパパは平気で人を殺したりするけれど、彼自身も死んだりする。80年代に入って、『アラレちゃん』や『タケちゃんマン』が流行った時に「嫌な時代になったな」と思いました。アラレちゃんは絶対に負けない、たけしも負けない。あの頃から絶対死なないスーパーヒーローがもてはやされるようになった。たけしがオートバイ事故を起こしたとき、最初の会見では「自殺しようと思ったんだ」と発言してました。でも、その発言は以後のワイドショーではカットされ「たけしさんはすっかり元気になりました」になってしまう。スーパーマンは、命を的にした本音も言えない。『うる星やつら』『めぞん一刻』も終わらない世界ですね。『うる星』のラストは、ラムとあたるの別れが予感されるけど、実際には描かれない。『めぞん』が終わるには一刻館が台風か地震で潰れるしかないんじゃないかと思ってたら、赤ん坊が生まれて世界がさらに強化された。さらに『ドラゴンボール』になると神様にまで勝利して、いつまでたっても終わらない。バブルが崩壊しても終わらない、びっくりしました。40巻以上超える漫画が普通になったのは、80年代に入ってからです。それまでは崩壊にしろ、ハッピーエンドにしろ、終わるべき所で漫画は終わってた。確実に結末は来るし、そこで得るものは得られ、失うものは失われる。「永遠に続く遊園地」なんてありません。『ドラえもん』だって、一度終わってますからね。『怪奇大作戦』の『壁抜け男』は犯人が湖底で狂死するんですが、あのラストも彼なりの幸せのかたちだった。幼稚園の時みて、こんな幸せもあるんだと感動しました。漫画やアニメーション、映画やお笑いも、80年代からは産業の安定を守るだけの物になってしまった。最近一番呆れたのは、日本が沈没しない『日本沈没』ですけど。
子供の頃に見ていた『みなしごハッチ』は、巷で言われてるようなメルヘンアニメじゃありません。本質は食うか食われるか、殺すか殺されるかの地獄めぐりアニメです。カマキリやクモなんかは言葉は通じるけど、いわば食人族。カエルやトカゲなんかは、ショッカーの人食い怪人レベル。百舌やら犬やら人間になると大怪獣です。とにかく『ハッチ』の世界で生きて行こうとしたら、殺し合うか種族を超えて愛し合うかしかない。実はあの世界って、もの凄くハードなヒロイックファンタジーの世界なんです。『ガラスの中のママ』(ビデオには入っているけれどDVDにはありません)なんて話は凄かったですね。人間に母親をさらわれたトンボの姉弟がいて、ハッチが「お母さんを取り戻そう」と人間の家に行こうとする。やはり人間に両親を殺された蠅の子供に案内され、換気扇や(回転している時に入ると体がバラバラにされてしまう)殺虫剤や凶暴な犬の攻撃をかわし、なんとか母トンボの居るらしい部屋にたどり着く。「おれが様子を見て来るから」と蠅の子供。出て来た蠅が「いないよ、お母さんはいないよ、もう帰ろう」と態度が豹変。「ここに居るって言ったじゃないか」とハッチが姉弟をつれて部屋に入ると、お母さんは昆虫標本にされている。『銀河鉄道999』の母親の剥製ってのは美しいじゃないですか。でも、トンボのお母さんは背中向けて手足広げて串刺しですから、身も蓋もない。だから「ガラスの中のママ」。結局ハッチをかばって蠅の子供は殺虫剤で死んで行く。「おれの父ちゃんも母ちゃんも、こうして死んで行ったのさ……」「くそ〜、人間め〜〜!!」とハッチが叫ぶ。当時「子供が人間不信になる」と、新聞に投書があったらしいです。他にも蟻を食い続けてた蟻地獄の成虫、ウスバカゲロウのお婆さんが行き倒れてた所を蟻に助けられ、生まれたばかりの蟻の娘の乳母として生活をともにする、なんて話や。百舌の森を抜けて、蜂の王女を送り届けようとする話や(もちろん、ハッチの仲間が何人も犠牲になる)、誘蛾灯に誘われて蛾が大量死した場面にハッチが遭遇する、いわばアウシュビッツ物。他にも乳母捨て山ネタ、シロアリの城が巨大な猿に襲われるスペクタル巨編、なんでもあり。子供の頃は嫌いでしたよ。でもなぜか見てた。他に見る物が無かったから……と思ってたんですけど。大人になってCSで見返してみたらもの凄く面白いんですね。やはり製作してた大人達が、子供向けだからといって、手加減してない。『魔法使いサリー』や『アッコちゃん』『009』『佐武と市』『エイトマン』『怪奇大作戦』『ジャイアントロボ』『赤影』様々な番組がありましたけど、どれも予算や放送枠を超えたレベルの物を見せてくれてました。今では放送コードや様々な条件で、それは叶わないですけど。やはり映画や漫画、表現と言う物を志すなら捨ててはいけない物があると思うんです。
でも、言っておきたいのは『ハッチ』や『怪奇大作戦』『009』、こういうハードでドギツイ物ばかりが横行してたわけではないんですよ。むしろそれは少数派で。どちらかというと、普通に楽しい番組の方が多かったです。ただ、表現の幅が広かったという事です。テレビや漫画雑誌には、天国もあれば地獄もあった。それが普通に同居してた。生(始まり)もあれば、死(終わり)もあったって事です。

【6、最新作『人喰山』】

 

取材の最後に、最新作『人喰山』についてお話しいただいた。

「灰土警部の事件簿 ~人喰山~」 にいやなおゆき作品 (2008年 DV 28分)、
「人喰山メイキング」(2分)
新谷解説:にいやなおゆき、15年ぶりのアニメーション作品。使用編集ソフトはeMacにおまけでついてた「iMovie HD」。
作者のマンガ作品『タン』『リングの神話』に出演の灰土警部を主役に描く怪奇紙芝居アニメ。


編集者解説(あらすじ):これは血も涙も無い鬼警部灰土が、薄幸の美少女とのふれあいを経て、赤ん坊のような純粋な心を取り戻すまでを描いた、涙々の感動作である。
連続婦女暴行殺人事件の犯人を連れて、被害者の遺体を捜索に人喰山へ来た灰土警部一行。ふもとの村は百年に一度の儀式の時期で誰も人喰山へ近寄ろうとしない。そこへ案内をかってでたのは被害者の妹の少女であった。彼女と共に人喰山を登るものの、霧の立ち込めるなか、遭難してしまう。立ち寄った山小屋にて、犯人の男は動機を語り始める。しかしそれはにわかには信じがたい、理想郷の物語だった。突如として起こった少女による犯人への仇討ち、続けと言わんばかりの落雷によって、場は一層混沌の極みと化す。そこへ突如として現れた巨木。そこから甘い香りのする煙がただよい、一行を誘惑してくる。ここは彼のいう「理想郷」なのか? 誘われるがまま巨木へふらついていく一行に危機感を覚える灰土警部。しかしそれはまだ、これからはじまる饗宴のほんの序曲に過ぎなかった……。
人知を超えた存在たちによる饗宴が、職業人を任務から解放し、そのまま聖俗入り乱れた野蛮な領域へと放り込む。そんな後戻りの利かない領域へ誘おうとする展開は新谷さんの係わられた作品を見るたびに感じる。

新谷:これまでアニメ・漫画・実写と表現の間を揺れ動いていたのですが、紙芝居アニメというのはちょうどいい落しどころだったと思います。脚本も自分です。20年間、趣味の写真、実写映画、アニメ、漫画、といろいろ作ってきて、結局自分は静止画が好きなんだと気がつきました。それでいてムービーが好き。アニメーション作家のくせにキャラを動かしたい欲求がないんです、むしろ静止画で見せたい。昔の探偵小説の挿絵なんかが好きで。さらに子供の頃は落語家になりたかった。それらを結び付けていって、たどり着いたのが紙芝居アニメなんです。

―― 『人喰山』は実際絵を動かしていないのに、終盤になるにつれて躍動感のあるアクションを見たような、興奮を感じます。

新谷:アニメーションって、枚数多く使って動かせばいいのかといえば、そういう問題でもないですからね。(編集注:『人喰山』へ影響を与えた作品かもということで、アニメ『佐武と市 捕物控』を新谷さんのご自宅で拝見させていただいたが、この限られた枚数、限られた動きのみの制約にもかかわらず、大胆に人物が動くアクションの躍動感、そして墨で描かれた画の美しさといい、とんでもない傑作だと感動した。限られた枚数で最大限のアクションが見えること、墨で描かれた雨や森の様子が『人喰山』と非常に近い。)
カラー以前、モノクロ放映初期の『鉄腕アトム』はセルの枚数も少ないし、動きはカクカクしてる。音も抽象的な電子音的SEです。作品自体が、現実的なリアリティーを指向していなかった。僕はアニメーションについて、よく「象徴と圧縮」という言葉を使いますが、モノクロテレビアニメではまさにそれが行われて(起こって)いたんです。キャラクターは単純な絵柄、少ない枚数で動きはパターン化され、ストーリーも圧縮されている。『佐武と市』も、静止画の効果的な使用とグラフィック的な画面効果で、独特の時間の流れを作り出しています。モノクロ時代のテレビアニメーションは、現代のテレビアニメの三本分以上の内容の濃さを持っています。とんでもないスピードで物語が進みますが、それを可能にしているのが「象徴と圧縮」です。先にも話しましたが、「散文」としての実写長編を、「詩」としてのアニメーションに変換すれば、100分の作品が15分にも圧縮できるはずです。『(モノクロ)アトム』などの手法はドイツ表現主義にも近いのかもしれません。大人になって『カリガリ博士』を初めてみたときに、懐かしいものに出会った気がしました。僕には『カリガリ博士』はアニメーションに見えます。

―― にいやさんが『人喰山』で使われた手法に関してお話いただけますか。技術的な事、作品製作時の苦労話などでもけっこうです。



新谷:これも技術と言えるのか……。かつては、ジャンル映画のお約束事がありましたよね。例えばキャラクター描写をステレオタイプで済ませるという事。悪人なら悪人、正義の味方は正義の味方、一目で分かる。作り手も観客も、そういう約束事を共有していた。それが物語を効率よく進める下地にもなり、大きな物語を語る方法でもありました。例えば殺人鬼を描くとき、「いかにも殺人鬼」という外面を作れば、不思議に動く物なんです。歌舞伎のメイクのように、外からキャラを作って行く。でも、東映の時代劇ならそれで良いけど、現代のリアルな世界観には合わない。どうしてもキャラクターの内面が要求される。内面からキャラをを描こうとしたら、ステレオタイプの枠組みが崩れて、キャラの象徴化が働かず、物語や世界観の圧縮も効かなくなる。結果、どんどん長くなって行く。たまに風呂屋で『バガボンド』や『PLUTO』なんか読むんですけど、キャラクターが内省してて全然話が進まない。僕は古い人間だから、どこが面白んだろうと思うけど。恐らく観客が作品に入り込む視点が変わったんでしょうね。現代の読者は内省するキャラに感情移入する、そこが物語への入り口なんでしょう。顔のアップばかりになるのは、自分の顔を鏡で見てる状態です。これも時代の流れだろうけど、それによって描けなくなってる世界もあると思います。モノクロサイレント時代の映画は、ほとんどロングショットでオーバーアクション、短時間に長大な物語を納めていました。その頃の観客だって、キャラクターに感情移入して観てたと思うけど、「私」をキャラに重ねるような感情移入ではなかったのかもしれません。一人のキャラの内省を描く以前に、多くのキャラの行動で、巨大な物語世界のうねりが生まれて行く。外部(物語世界)こそが主導権を握っていて、感情移入できる主役がいたとしても、それが世界の中心(「観客」=「私」)ではあり得ない。観客も大きなうねりに巻き込まれた集団の一人として、有無を言わせぬ巨大な流れに鼻面つかまれて引きずり回される。先に話した『みなしごハッチ』なんか、まさにそうです。かつては普通だったそういう強烈な世界は、現代の内省ドラマでは生まれて来ない気がします。
『人喰山』のような作品のネタは使われ尽くしてますから、普通に作ると見飽きた怪奇パロディになる危険性があります。だから、前口上・モノクロ・弁士・挿入歌・静止画アニメ、これらを総動員して、なんとか異界を作り出しているわけです。ストーリー展開も、常にシフトチェンジを繰り返し、キャラが内省する暇を与えないようにして逃げ切ってます。実は『人喰山』と『電球烏賊祭』は、僕の中では同じ物語なんです。「祝祭を経ての死と再生」なんて言えば言えるかも(笑)。もしかして人によっては、自分探しの物語、と受け取られるかもしれません。でも、内省によっての自分探しではなく、見知らぬ自分に襲いかかられ、動かせぬ自分を突きつけられる。そんな作品にしたかったんです。主人公は灰土警部ですが、むしろ彼は目撃者で、ひどいめに遭わされるだけです。キャラクターはそれぞれバラバラに動き、分かり合う気などありません。遭遇する事件も、主人公達に問題を突きつける類いの物ではなく、もっと即物的で、身も蓋もない物で。「入っちゃ行けないところに入ったらひどい目に遭った」「知っちゃ行けない事を知って、この世にいられなくなった」程度の物です。でも対話出来る(意味のある)問題や敵と言うのは、結局内省の的にしかなり得ないと思うんです。抗う事すら不可能な、わけも分からず巻き込まれる事しか出来ないモノやコト、巨大なうねりそのもの。それこそ唯一の主人公だと思うんです。何度も話した「魔法映画」の本質とは、その「巨大なうねりそのもの」をはっきり主役に据えた映画の事なのかもしれません。

写真 『人喰山』原画 + 仕事場
新谷:『人喰山』は最初の頃、まだペンタブレットも導入してなかったので細かい作業ができなくて。ワンカットワンカット、一枚絵で書いています(写真)。後半になったらほとんど一枚画はありません。腕だけとか、顔だけとか、目玉とか、パーツの画を取り込んでペンタブレットで細かい合成をするようになりましたから(写真)。画材は『烏賊祭』同様薄墨をつかっています。紙は普通のコピー用紙です。『人喰山』は時間がなかったので、薄墨を真っ黒になるまで塗り重ねられなかったです。本当はしっかり黒が出た方が、後々画の出来が良いんですがそうもいかず。画としての完成度60%くらいのところでパソコンにとりこみ、画像調整して仕上げてます。一日に三カットくらい描いたかな。巨大な画も、小さな紙切れに描いたパーツをパソコンで合成してますから、これらは画というよりも素材ですね。


 

【おまけ話:ソドムの市使用小道具】
 

新谷:僕がつくるようなものがそのままいろいろな映画の小道具としてつかえるかといえば、そういうわけにもいきませんが……。

写真:ポッポちゃん
浦井君(ソドム役)の家にあったシャンプーの頭のまわりに紙粘土をつけて、体はティッシュペーパーとキッチンタオルでつくりました。お尻に突き出てる棒を回すと頭が回ります。まわしながら、自分でポッポーと鳴くのです(渋谷教授がソドム一味に拉致されている場面参照)。

写真:お堂
段ボールに木工ボンドと茶色のペンキを混ぜたものを指で塗っていく。そしたら木目ができます。ボンドは乾いたら強度もあるので、焼き入れをした板のような物ができます。ひとりで1週間くらいかけて、軽トラックに積むくらいの量を作りました。倉庫の壁に1枚1枚ガムテープで貼ってぶらさげ、同じようにして床にもはって、立ち芝居が出来る規模のセットにしたんです。どうも照明が強すぎてムードにかけます、淡い照明だったらもっと本物らしく見えたでしょう。

写真:ソドム城内部
新聞紙と紙粘土でつくった1メートルくらいのセット(注:邪魔なので燃えるごみで捨てられたそうです)に、人物を合成しました。ハリボテに紙粘土を薄く塗って石積みのような模様を彫り込んでいるわけです。
(ホームページに同じ手法の参考写真あり)

・空飛ぶニードルの撮り方(写真は撮影の方法を記した紙)
ガラスにニードルを貼り付け、カメラの前に固定します。準備が整ったらカメラを思い切り振り回す「とんち特撮」です。現場にはこのような設計図とコンテを書いて、特撮方法の提案を出しています。
他にもいろいろコンテは描きましたが、現場ではコンテに縛られず野放図に撮ってくれた方が良いですね。

                               ​2009年2月発行 「DVU 2」より転載

追記  『乙姫二万年』は、情景と現象を描く事をテーマにしていました。キャラクターや彼らのドラマが作品の中心ではありません(もちろん内包されたドラマはありますが)。10年前の自分の発言を読み返してみても、やはり僕は「人間世界の物語」ではなく「抗うこともできない、巨大なうねりそのもの」に興味があるようです。例えば第一作の『ゴジラ』など、その代表かもしれません。そして、僕はそういうモノを中心に据えた映画を「魔法映画」と考えているし、僕にとっての「アニメーション」とは、コマ撮りの技法の事ではなく、そういう「魔法映画」と呼応し、共振するための表現方法だと思うのです。

 

恵比寿映像祭『乙姫二万年』解説
DVUインタビュー
恵比寿映像祭2023 配布資料『乙姫二万年』解説
2.5Dアニメ『乙姫二万年』に関して 〜夢と記憶 ぼんやり眺めるということ〜

 「片目で見ると立体感の増す2.5Dアニメ」これは半分冗談半分本気でつけたキャッチフレーズですが、恵比寿映像祭のプログラムに使われるとは思ってなかったので驚きました。という事で、ちょっと真面目に解説します。『乙姫二万年』は、絵と模型と特撮を混ぜ合わせて、手作業で作られた作品です。CGは使っていません。

・手描きの絵に模型が混ざっていたり、写真に絵や模型が混在していたり。絵(平面)を見ているのか模型や実景の写真(立体)を見ているのかわからなくなる。
・レイヤーを何段にも分けて、近景は早く、中景は遅く、遠景はもっとゆっくりスライドさせる。アニメーションで昔から使われている手法。
・さらに近景、中継、遠景のレイヤーに、それぞれ違う色や速度で照明効果もスライドさせ、さらに立体感を感じられるようにしている。

製作技法としては、これだけの事です。しかし、片目で見たら立体的に見えるというのは冗談ではありません。カメラのレンズは一つですが、人間の目は二つ。少し離れた場所に二つの目があるため、見た像に僅かなズレが生じ、それを脳が立体として感じ取るわけです。
一方、レンズが一つだけのカメラで撮られた写真や動画を二つの目で見ると、脳は「なんだ平面じゃん」と見破ってしまいます。ところが観客がわざと片目で見ると、写真や動画が平面だとバレない。だから平面レイヤーがスライドしてるだけの映像を、脳は立体と錯覚してしまう。脳が、積極的に「騙されに行く」のです。
昔、南伸坊さんが「写真展で大きくプリントされた写真を片目で見ながら体を前後させてちょうどいい距離を見つけると突然写真が立体的に見えてくる」という体験を書いていました。撮影者と対象の距離やレンズの焦点距離、プリントされた写真の大きさ、見る距離がシンクロするポイントがあるんでしょう。
片目で見るということは二眼から一眼へ、情報量を減らす事になります。不利な見方のはずなのに、むしろ立体感を感じられるという逆転現象が起こる。これは受け身ではなく自分から楽しもうとする「積極的な鑑賞法」と言えるかもしれません。ここは写真美術館ですから、是非大きな写真プリントの前でお試し下さい。

 写真も動画もますます高画素・高精彩になって行きますが、逆にフィルム写真にこだわる若い方も増えています。それは技術的なレベルではなく、人が何を必要とするのか、何を感じ取るのかという事でしょう。あまりに多い情報量(高画素・高精彩)は、それを「見る義務感」や「見方」までも強制してくるように思えます。楳図かずおさんがこんな事を言っています。

〜人間には脳で考えている考えと体で考えている考えの二通りあるんですね。「人間はすべて脳だ」というのは思い上がりで、すごく気をつけなくてはいけない。すべて脳が支配権を持っていると思っていると、ある時に体から復讐されるんです〜 

わざと片目で見ることで、平面を立体として感じる経験って、いわば「脳」を「体」の側が逆支配する方法かもしれません。

 森山大道さんだったか「写真のフィルムサイズは小さくなるほど夢に近づく」と読んだことがあります。荒い粒子でぼんやりと映った画像のほうが、記憶の深層に届くという意味でしょう(夢というものは、記憶の中にしか存在しませんし)。それが正しいとすれば、現代のカメラの高画素・高精彩さは人が見る「夢」や「記憶」とは逆方向に進んでいるのかもしれません。よく言われるのがモデルさんの肌の荒れ。「綺麗な人だなあ」という視覚的記憶(気持ちや心)を定着、喚起するのが写真と考えれば、シワや肌荒れ、脂線までガッツリ写った写真は「綺麗な人だなあ」という視覚的記憶と違うものになります。高画素・高精彩すぎる画像は、理想や記憶に近づける脳内補正の邪魔をするのかも。昔、モノクロ映画を見終わったおばさん達が「あの女優さんの藤色の着物、綺麗だったわねえ」と話していたとか。以前、映画監督で評論家の筒井武文さんが「コマ数が少ないほど絵が脳に焼きつく」と、モノクロ『鉄腕アトム』の魅力を話してくれた事があります。
一方、最新のミラーレスカメラと超望遠レンズなら、飛んでいる鳥の目にAFがビシビシ来る。それは素晴らしいものです。羽毛の一本一本までくっきりはっきり、鮮やかに写せます。しかし僕は「鳥が遠くに居るなら遠くに居る鳥を撮れば良い」と思う方です。風景の中に居る鳥を、風景と一緒にぼんやり眺めたい。『乙姫二万年』という作品も、キャラクターをカメラが追うのではなく、風景も、キャラクターも、現象(煙や雪や水の動き)も、さらにストーリーやテーマも含みこんだ「情景」を眺めてもらうために作った作品なのです。

 今回の「2.5Dと実写アニメーション―コマ撮りアニメーションを考える」で上映された、最後の手段さん(有坂亜由夢さん、おいたまさん、コハタレンさん、3人の映像ユニット)の『深山にて』は手作りのコマ撮り作品です。キャラのぎこちない動き、ゴワゴワした脱皮の質感はまさに夢の記憶のようです。続いて上映された、磯部真也さんの三作品『EDEN』『For rest』『13』は、今ではロストテクノロジーとも言える16ミリカメラでコマ撮りされた微速度撮影作品で、一種のドキュメンタリーとも言えます。現実の風景を写しながらもレコードのスクラッチ音さながらに、フィルムの傷や赤い感光部分が映像に侵入してくる。それらのノイズも作品世界の一部になっている。観ているうちに、頭がぼ〜っとして来てぼんやり眺めてるだけなってしまって、だけど不思議に心が落ち着いて、厳粛な気持ちになってしまう。磯部さんの作品を見て三本とも寝てしまったという友人もいたんですが、たぶんスクリーンからα波が出てるんだと思います。昔、音楽会でプロのミュージシャンのフルートを聞いた時、あまりに気持ちよくて寝てしまったことがあります。タルコフスキーの映画を観て寝るという話をよく聞きますが、やはり気持ちが良いからでしょう。ぼんやりとした記憶や夢に揺蕩って、ふわ〜っと意識が遠のいていく。磯部さんやタルコフスキーの作品から出てる波動の作用こそ「記憶や夢のような臨場感」と言えるかもしれません。
一方4K、8Kテレビの売りは、ネイチャー番組やスポーツ番組の臨場感です。これは最新のテクノロジーでこそ成立する表現と価値観で「体に直接作用する臨場感」かもしれません。昔、ダグラス・トランブルが作ったショースキャン(70mm、60コマの撮影、上映方式)で、観客の心拍数が上がったという記録があるそうです。それは「記憶や夢のような臨場感」とは質や方向性、使用目的自体が違うのかもしれません。しかし、テクノロジーがさらに進化したら「体に直接作用する臨場感」が「記憶や夢のような臨場感」に逆流し、押し入ってくるようになる可能性もあります。そもそも両者(体と心)は完全には切り分けられないものですし。これはまさにダグラス・トランブルの『ブレインストーム』の世界です。いつか『アルタード・ステーツ』や『2001年』みたいな事が本当に起こるのかもしれませんね。ちょっと怖いですけど……。

『乙姫二万年』には異常な情報量のHPがございます「乙姫二万年 wix」で検索どうぞ。先に書いた「情景」に関する事や、本日御覧頂いた字幕の制作過程やりとりなど、様々な記事が、うんざりするほど載っております。本日はお忙しいところありがとうございました。『乙姫二万年』いつか本格的に上映する機会があると思います。その時はどうぞよろしく。

                       アニメーション作家 にいやなおゆき

……と、この文章をHPにアップしたら、磯部さんの作品で寝落ちしたという友人=ほうとうひろしさんからDMが。

実際のところ、にいやさんの過去の映像作品群(中でも『乙姫〜』が特に顕著ですが)も、寝落ちしているわけではないのに、脳が勝手に寝落ちしたと認識してしまう仕掛けの映画だと見るたびに思ってます。今回、写真美術館の大スクリーンで見て改めてそう思いました。
フェードアウトとフェードインの間の黒味や、場面転換時の実写の挿入、音響効果などによって、脳がパニックを起こして「あれ? なんか今オレ寝落ちした?」って思っちゃうんです。
だから、これは今思ったことですが、磯部さんの作品でも、もしかして僕は寝落ちはしていなかったのかもしれません。脳がそう思っただけで。 ほうとうひろし


うわ、それは物凄く面白い考察です。先日の文章、かなりバタバタで畳んでしまって。今回も加筆したけど、まだモヤモヤしてて。そもそも脳と体は切り分けられませんからね。夢と現実だって切り分けられるかどうか怪しいものです。悪夢を見ても心臓がドキドキして脂汗が流れるし、現実に体験した事がリアルに夢に出てくる事もあります(僕は未だにバイトしてたファミレスで料理してる夢を見ます)。その切り分けできなさってのが、ほうとうさんの文章で分かってきた感じもあります。このほうとうさんの感想も文末に添付させてもらうかもしれません。 にいや

……ということで、早速追加でほうとうさんの見解を添付させて頂きました。
先に「記憶や夢のような臨場感」「体に直接作用する臨場感」と書きましたが、それは区別できるものではなく、むしろ「心と体が弛緩して来るタイプの映像」と「心と体が緊張してくるタイプの映像」と言えるかもしれません。α波はリラックスした時に出る脳波と言われてますが、β波というのもあって(以下、wiki)「低振幅で複数の変化する周波数のベータ波は能動的で活発な思考や集中と関連付けられている。」だそうで。
先に「見る義務感」や「見方」までも強制してくるように思える……と書きましたけど。高画素・高精彩な映像は、観客の脳にβ波を出させる=要求するのかも。
8mmフィルムで撮られた映画を観たことのある方はお分かりと思いますが。あれ、観てると眠くなってくるんですよね。映写機のカタカタ音の単調さも眠りを誘います。8ミリの上映会でうとうとしてくると「スクリーンからα波出てるよね〜」とよく笑ってましたけど。そういえば8ミリの長編上映会なんて、お客さんみんなよく寝てたよな〜。


*東京都写真美術館 恵比寿映像祭2023「2.5Dと実写アニメーション―コマ撮りアニメーションを考える」で配布された『乙姫二万年』解説を加筆。


 
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