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作者よりご挨拶

追記

『乙姫二万年』が完成して、もう三年経ちました。
本当は映像作家の友人たちと作品をカップリングして、一ヶ月に一回くらい、毎月どこかで上映会を開きたい。アニメーション作家の友人と、ドキュメンタリー作家の友人と、実写映画や実験映画の友人とも一緒に上映会をし続けて。そして、行く行くはどこかの劇場で……と考えていたのですが。
なんとコロナの世界的流行でそれどころではなくなってしまいました。

結局、勤め先の武蔵野美術大学の授業予定も見えず、やむなく退職して東京から実家のある岡山県に帰ってしまったのが2020年の6月でした。岡山に帰ってからは実家の畑を手伝い、年取った両親のご飯を作り、コロナから離れて田舎暮らしをしていました。
東京から離れても、今ではインターネットで友人たちとはやり取りができます。特に生活が変わった感じもなく、畑仕事をしながら畑動画を撮ったり、オムニバス映画の参加作品を作ったり、楽しく暮らしていました。しかし、突然に訃報が入ってきました。『乙姫二万年』のED曲を提供してくれた山口博雅さんが、クモ膜下出血で急逝されたのです。享年61歳。

児童会館で子どもたちに絵を教える仕事につき、体調も万全で「やっと年金が出るようになったし、俺の人生は今始まったんだ!」と嬉しそうな電話の声を聞いたのが最後でした。
実は『乙姫二万年』ED曲は、山口さんが「俺の葬式用の曲なんだ」と聞かせてくれた曲なのです。
山口さんは、奥さんも娘さんも武蔵美で(なんだか因縁を感じます)、そもそもは絵描きさんでしたが、音楽もやっていました。『乙姫』のSEは、山口さんがコレクションしてた民族楽器を使わせてもらって録ったものも多いのです。僕のアパートから歩いて40秒の所に住んでいて、散々助けてもらいました。
山口さんがいなかったら『乙姫』は完成してなかったかもしれません。

そして、今年の8月15日にモスクワ実験映画祭で『乙姫』が上映されたのですが。
山口さんの命日も8月15日。時差があるから同時かどうかはわからないのですが、山口さんが亡くなったその日に、別の国の会ったこともない多くの人が(満員だったそうです)山口さんの葬式用の曲を聞いていたなんて……本当に不思議に思えます。
作家は死んでも作品は残るという言葉もよく聞きますが、それを実感した出来事でした。

そして、さらに9月にはデザイン学校の同期だった友人、小原太一郎という男が亡くなりました。
有名なアニメーターではありませんが、実は彼は『アラレちゃん』や『ドラゴンボール』を30年以上描き続けた筋金入りの職人アニメーターでした。先の山口さんの話ではありませんが、彼の名前もしらない日本中、世界中の子供達(と、かつて子供だった人たち)が、今でも彼の描いたアラレちゃんや悟空を見て楽しんでくれています。六十歳前になくなるなんて残念だけど、作家冥利に尽きる事かも……
と思っていたら、また訃報が。

ヘビーコメントでも文章を寄せてくれていた、脚本家・映画監督の井川耕一郎さんが2021年11月25日に急逝。なんと2021年は三人もの友人が旅立っていきました。
井川さんは、宣伝もされない、評論家も見ない、十分なギャラももらえないエッチVシネの世界で素晴らしい脚本を沢山執筆され。映画美学校講師、立教大学映像身体学科講師としても多くの学生を育てた方でした。映画美学校では『寝耳に水』『西みがき』など、特異な短編を監督。
そしてピンク映画界の大御所、渡辺護監督の遺志をついでピンク映画『色道四十八手 たからぶね』を監督されました。
『乙姫二万年』を、僕のアパートで見てもらってすぐに感想を連続Tweetしてくれて、それはこのHPの「ヘビーコメント1」に掲載させてもらっています。
しかし、本当はもう一度きちんと感想を書くと約束してくれてたのですが……。
本当に残念です。

コロナ、まだまだ収まりそうにありません。
『乙姫二万年』が劇場で上映されるときには、三人の友人たちもまた来てくれる、話をしたり酒を飲んだりできると思っていたのに。時間はどんどん過ぎていくんですね。
『乙姫二万年』の後、ゆうばり映画祭で上映されたオムニバス映画『おまめ映画菜 〜世界の食卓から〜』参加作品で、新作アニメーション『うなぎのジョニー』が完成。そしてまた今年2022年にも新作が(まだ極秘)完成しています。そのうち三本をまとめて、どこかの劇場で観て頂ける事を願っています。
どうぞみなさんも、お体気をつけて。
いつかお会いしましょう!


2022年2月10日

さらに…追記
なんと 『乙姫二万年』の音響担当の光地拓郎君が、2022年8/12(金)の朝、亡くなられました。
昨年から膵臓がんで闘病しておられたそうです。
ちょこちょこやりとりはしていたのですが、病気の事は知りませんでした。
光地君は映画美学校を卒業し、藝大の音響コースに進みフリーの音響技師として活躍されていました。
僕の『灰土警部の事件簿 人喰山』 も光地くんの仕事です。
『人喰山』 ではドイツや韓国の映画祭に一緒に参加し、楽しく過ごしました。
コロナが無ければ、『乙姫二万年』 の上映で、また一緒に旅行出来たのにと残念です。
しかし昨年の8/15に山口博雅さん、今年の8/12に光地くんと、『乙姫二万年』 の音響スタッフが二人共いなくなってしまいました、信じられません。昨年から友人知人が何人も亡くなっていますが、光地くんはまだ40代。若い方が亡くなるのは本当につらいです……。

2022年8月12日



前口上 

 アニメーション作家の、にいやなおゆきと申します。テレビアニメやCMなど、商業アニメの世界には属しておりません。また、近年アートアニメと言われるようになった芸術的な作品を作っているわけでもありません。組織や業界に馴染めない体質なもので、作る作品もどうにもおかしな作品ばかりです。『乙姫二万年』は、そんな僕の作品の中でも最もおかしな作品です。 今から4年半前、15年間住んでいた安アパートを「壊すから出て行け」と追い出されました。一番安くて、一番広くて、一番(元のアパートに)近いところ……という事で最初に見つけたのが今住んでいるこのアパートでした。築50年オーバー(2019年現在、築55年)で、見るからに不気味。自転車で偵察に行った時「ここだけは絶対に入らない」と思ったのですが……。他に良い物件がなく、仕方なく不動産屋さんに案内してもらって、ドアを開けて入った瞬間!体に電流が走るというのはああいう事なのでしょうか。身体中がビリビリと痺れ「ここしかない!」と決心しました。  ドアを開けると二階に続く急な階段。小さな窓から差し込むかすかな光とカビの臭い。巨大な仏壇の中を歩いているような不思議な感覚で、僕は階段を登りました。部屋に入ると天井は一枚板、トイレの窓のレールは木製、台所には天井にまで届く木製食器棚。半世紀前の建築物は、現在とはまったく違う価値観で建てられていて、ガタつく箇所など全くありません。風呂もない28000円の物件でしたが、これはとんでもない高級建築でした。操られるように契約し、生活を始めたのですが。柱に釘を打つと三日もしないうちに吐き出してきます(材木が滅茶苦茶に硬い)。さすがに電気と水周りは弱いですが、床がきしむ事も、隣の部屋の音が聞こえてくる事もなく、快適そのもの。NHKも一度だけ来ましたが「テレビ持ってません」と言うと(もう二十年見てません)「わかりました」で、二度と来ません。場所は都内某所なのですが、近辺は戦後の農地改革でお金持ちになった方々の高級住宅地。だから車もコンビニも入ってきません。昼間から子供達が道路で鬼ごっこしてます。真下の部屋のおじさんはブロック塀に白菜を干して、アジの開きまで干しています。ここは……なんなんでしょう。本当に21世紀の東京なんでしょうか? 新しい部屋に入ったとたん、今まで動かなかった新作が動き始めました。前作『人喰山』から十年、勤め先の武蔵野美術大学に通う道々で撮りためた写真や動画、担当授業(手作りアニメ)で学生と一緒にやってきた様々な手法。ずっと溜め込んでいた、なかなか形にならなかったアイデアが、このアパートを舞台にした作品として一斉に動き始めたのです。結局、絵コンテに半年、実作業に三年、リテイクと音入れに半年。合計四年で『乙姫二万年』は完成しました。そして2018年秋から友人知人をこのアパートに招き、12000円で買った中国製プロジェクターで試写を重ねました。劇中におでんが登場するので、試写の後はおでんで飲み会。素材の絵や模型を見ながら毎週のように、おでん試写宴会をやっていました。コメント欄に頂いた沢山のコメントは、作品の舞台になったこのアパートで作品を見て、おでんで一杯飲んでいただいた方々からのメッセージです。ヘビーコメントや往復書簡の皆さんからも、様々な深読み「自分はこう読む」を沢山頂きました。本当にありがとうございました。 お願い この作品を見た方々は「ストーリーを知りたい」「設定を教えて欲しい」「テーマは何だろう」と、様々な疑問を持たれると思います。しかし、言葉で説明してしまったら抜け落ちてしまうものが沢山あります。(製作意図や制作中のエピソードなどは、往復書簡の中で可能な範囲で語っております)。この作品は難解な作品ではありません。むしろバカバカしくて楽しいエンターテイメント作品になっています。楽しく見ていただいた上で、観客の方々ご自身の物語を発見して頂くのが一番と思います。掲載させていただいた膨大なコメントや書簡は、そのための手がかりと考えていますということで、申し訳ありませんがストーリーや設定、テーマに関するご質問には一切お答えできません。Twitterもやっておりますが、そちらにご質問を頂いてもお答えすることはありませんので、よろしくお願いいたします。長くなりましたが、これで作者からのご挨拶とさせていただきます。

2019年 1月 
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